2011年8月25日木曜日

肉にめまいを覚える(性的に?)

デヴィッド・マッドセン『カニバリストの告白』池田真紀子訳(角川書店、2008)

は、2年ほど前、出版された直後に読みかけで少し紹介したことがあったが、実は、そのまま放っておいた。たぶん、次に出る翻訳に競合する作品だろうとの思いから、続きを読んでみた。

天才料理人オーランド—・クリスプは人を殺し、あまつさえそれを料理して食べた罪で投獄されている。その彼の回想録に、ときおり彼を鑑定した精神科医の書類や手紙などが挿入されながら綴られる、その逮捕までの経緯(本当はそれ以後もある)。

生まれてすぐに母親の乳首を噛みちぎろうとした、生来の食人者であるこの人物、早くから人肉および肉全般に魅了され、料理人になることを決意する。乳首を噛みちぎろうとしただけでなく、美しい母を愛し、崇拝し、その反面、みじめな父親を憎んで育つのだが、母が急逝したために、耐えられなくなって家出、エグバート・スウェインのもとで修行を開始する。

オーランド—というのはとても魅力的な人物らしく、師匠のエグバートに言い寄られ、いやいやながら関係を持ち、それをテコに昇進し、顧客の老未亡人にも言い寄られ、やはり不承不承関係を持ち、財産をせしめて念願の店を持つ。店には前のオーナーの置き土産のような男女の双子、ジャックとジャンヌがいて、このふたりが実にいい働き(実利的に、という意味でもあり、裏で上客に体を売って剰余価値を産み出しているという意味でも)する。

順風満帆だったオーランド—も、なぜか料理評論家のアルトゥーロ・トログヴィルには悪し様に書かれ、いさかいを起こすのだが、あるとき、再婚するからと金をせびりに来た父親を、オーランドーは衝動的に殺してしまい、ばれないようにとその婚約者も殺し、そのふたりを使った料理をトログヴィルおよびその他のクライアントたちに食べさせたところ、とんでもない効果が現れて、……。

食人を巡る話なので、猟奇的なのかと思えば、それほどでもない。何しろ、食人鬼自らがその経緯を語り、その語る過去というのが典型的なエディプス・コンプレックスを思わせる母への愛と父への憎しみだったりするものだからわかりやすい。エグバートもトログヴィルもでっぷりと肥ったホモセクシュアル(後半にはネオナチのホモで、加えてSM趣味なんて人物も登場する)、ジャックとジャンヌは瓜二つで神秘的な雰囲気を漂わせ、と、登場人物の(今風に言うなら)「キャラが立っている」ものだから、おかしくさえある。加えてどんでん返しを含む大団円で話がまとまるのだから、実に楽しい一編のエンターテイメントといった感じだ。

もちろん、料理と食人をめぐる話なので、各章に料理のレシピを掲載しており、それもまた楽しい。しかしこのレシピ、やはりこうした小説である以上、普通ではありえない。そのうち現れるレシピは人肉を使ったものになっていくし、「ノワゼット 燃え盛る情熱のクリーム添え」という料理では、「肉の入ったフリーザーバッグを世紀にかぶせ、ジッパーを締め直す。バッグはかなり大きめのものにしておくこと。ペニスは勃起させる(ただし射精はしない)必要があるからだ。勃起しないままだと、気の抜けたような仕上がりになってしまうので要注意」(231ページ)などという指摘まである。

猟奇的というよりば、ゲラゲラ笑える。少なくともぼくは笑いながら読んだ。