2011年8月30日火曜日

頭痛に逆光

授業が終わってからというもの、扁桃炎をやり、歯を痛め、最近は脂漏性皮膚炎(「要するにあせもみたいなものですね」……と)とかで皮膚科に通い、まったく、体調が万全の日はあったためしはないな、と思っていたら、今日も思い立って出かけた後で、頭が痛くなってくる始末。

頭が痛いのは逆光に練馬区立美術館を写したりしたからか? 

「磯江毅=グスタボ・イソエ:マドリード・リアリズムの異才」。

「マドリード・リアリズム」というと、ビクトル・エリセの『マルメロの陽光』(92)のアントニオ・ロペス=ガルシアなどだ。エリセは「イペルレアリスモ(ハイパーリアリズム)」などと呼んでいた。ジャスパー・ジョーンズらのスーパーリアリズムの向こうを張るような、本当にハイパーに、スーパーにリアルな(リアルを超えるのでなく)タッチの画家たちのことだ。その一派に数えられる日本人画家磯江毅ことグスタボ・イソエ(1954-2007)の回顧展。新聞の広告には、皿の端に置かれた骨になった鰯の絵(『鰯』)が掲げられていた。これが代表作なのだろう。ザクロやマルメロ(ここでもだ!)、トウモロコシ、ブドウなどの静物画もリアルの極みだが、とりわけすばらしいのは裸婦像だ。

「深い眠り」(これがチケットの絵柄)、「ロシオ」、「新聞紙の上の裸婦」などの白黒による裸婦像は、とりわけ、その肌触りまで感じられそうですばらしい。

いくつかあるうちの晩年の自画像2枚くらいはエドワルド・ナランホのそれ(長崎県立美術館に所蔵の全裸の自画像のみならず)などを思わせて、この流派の人々の通底性が確かめられる。

未完に終わった「横たわる自画像」の肘の下あたりには、「肌の内側(静脈)は大袈裟なまでに暗く/腕はもっと暗く」のメモがスベイン語で書いてある。この書き込みはアントニオ・ロペスの製作途中の線のように生々しい。

「アントニオ・ロペスの線」というのは、『マルメロの陽光』での話。この映画のDVD、紀伊國屋書店の人はこれもクリティカル・エディションで復刻したいのだと言っていたが(『ビクトル・エリセDVD-BOX』のときの話)、まだならないな。いろいろと難しいのかな……