恵比寿駅でホルスタインみたいな格好をした父親と緑のなにやらよくわからないモンスターに扮した母親に手を引かれた、赤毛のカツラをかぶったそばかすの女の子がとても不機嫌そうだった。帰りに寄った中野で、メイドの格好をした母親に手を引かれた、白いタキシード姿の男の子が、なんで俺はこんな格好をさせられているのだ、と目で訴えていた。ハロウィーンというのは、いったい、子供たちを幸せにしているのか? 日本で急速にハロウィーンが広まったのは、コスプレの広まりが基底にあるのだろうなと思った土曜日。
恵比寿に行ったのは、東京都写真美術館でのショートショートフィルムフェスティバルに行ったのだ。東京国際映画祭連動企画のこのフェスティバル。今年は短編映画に加え、河瀬直美提唱の3.11 A Sense of Home Films も上映している。A、B、Cの3つのプログラムに21本のオムニバスを7本ずつ割り振っているのだ。
で、Bプログラムにエリセの「アナ、3分前」が含まれているので、観に行った次第。既に、先日、NHK-BSのドキュメンタリーの一部として流されているので、観たのだけれども、ともかく、スクリーンで観てみた。
タイトルに名前の出ているアナはアナ・トレントのこと。彼女が楽屋で準備をしているところに、「アナ、あと3分だ」と声がかかる。彼女はマックでビデオチャットのようなことを始める。「今日は8月6日……」として、どうやら日本人らしき人に向けて、原子力の被害に2度も遭った日本を悼み、原子力批判をする。地震を報じるメディアの「ビデオクリップ」のような作りを批判する。それからまた鏡に向かってメイクを仕上げ、緑色の紗のストールを広げてから楽屋を出て行く。テープルの上には『アンティゴネー』が載っている。ただそれだけの作品だ。ひとり3分11秒なのだから、しかたがない。
エリセのこの作品の、メッセージのストレートさに驚く人もいるかもしれない。しかし、たとえば同じくカメラに向かっての女優の独白という形で撮った桃井かおり「余心 Heartquake」と比べてみれば差は歴然だ。桃井のものも良かったのだけれども、エリセはマックのビデオチャット機能による対話という形を取ることによって、フレーム内にフレームを現出させ、優れている。最後にアナが「死者たちに見つめられていると感じる」とつぶやくとき、映画がついてにフレーム内フレームの外に死者を想定するという次元に至ったことに気づかされてはっとする。世界がぐんと広がるのだ。そして最後の『アンティゴネ―』の表紙。アンティゴネ―というのがオイディプス王の娘で、父や兄らの家族を弔うものであることを思えば、エリセはこのたった一瞥で、一気に自身の原子力についての思いとテーマのHomeとの解決をつけていることがわかる。この密度が素晴らしい。