2011年10月18日火曜日

ブラジル宣言の人々を堪能する


いや、なに、感慨深いことがあったのだ。立て続けにご恵贈いただいた本。

管啓次郎『コロンブスの犬』写真:港千尋(河出文庫、2011)
今福龍太『薄墨色の文法:物質言語の修辞学』(岩波書店、2011)

これに旦敬介を足せば、『ブラジル宣言』ではないか。

1980年代の末、弘文堂がラテンアメリカ・シリーズのようなものを出した。ついでに、牛島信明『反=『ドン・キホーテ』論』なんていうものも出して、ぼくたちはしばし弘文堂の動向に注意を向けた。その弘文堂のシリーズひとつとして出された『ブラジル宣言』に集った上の人々のその後の活躍は言うまでもない。

さて、その『ブラジル宣言』に続いて、同じ版元から管啓次郎が出した単著が『コロンブスの犬』。それに港千尋の写真を添えて河出文庫が復刊したというわけだ。やはり同じシリーズからのジル・ラブージュ『赤道地帯』の翻訳作業中だった管さんが、ブラジルを旅して見つけ、感じ、書いた記録だ。ぼくも20数年ぶりにその懐かしいテクストを開いてみる。

「どこの土地を訪れたとしても、ぼくらの誰ひとりとしてその土地をありのままに見ることはできない。すでに聞いたこと、読んだことのあることばの記憶にしたがって、ぼくらはひとつの風景を理解しているにすぎない」(134)からこそ、〈悪い文学〉に引きずられまいと戒める管さんは、ブラジルで新たに見出しているのだから、この旅行記はみずみずしいのだ。石川達三の描写したサン・パウロのことを論じながら、石川が鞄に入れて旅の伴にしたかもしれない「昭和初期に出版された堀口大学訳のポール・モラン」を「サン・パウロの裏ぶれた日本語の古書店」(93)で管さんは見つける。時間を隔てた遠い作家と、若き管さんがここで交錯する。こういう交錯を作り出すのがうまい。唸ってしまうのだな。

今福さんはときどきぼくに本をくださる。お礼を言うと「奄美のことを書いたから」と言い訳のようにおっしゃる。もちろん、今回もそうなのだろう。岩波の『図書』の連載をまとめた『薄墨色の文法』には、ぼくの故郷のことが幾度も触れられている。この流れで、たとえば、ご自身の三線の師、里英吉に触れている箇所を引きながら、今福龍太はある日、里英吉の仕草を繰り返すかのように汀に座し、三線を弾いていたのだ、という証言を書いてみたくなる。

しかし、ここでは、もう少し違う趣向の話を。奄美の東シナ海側の入り組んだ地形の風と土着の楽器の話をする今福さんは、楽器の共鳴の秘密である「カルマン渦列」とそれと同周波で発生する「エオルス音」を解説する。そして言うのだ。「そしてあるとき、驚くべきカルマン渦列が、冬の季節になると済州島から奄美大島に向けて、まさにニシの風に乗って到達していることを私は知った」(126)。この次のページにある図版が、「カルマン渦列」とはいかなるものであるかを例示し、かつ今福の発見(?)を証明している。

さて、ぼくの名前は孝敦(たかあつ)という。ありきたりの文字の組み合わせであり、ありきたりの音の組み合わせだ。だが、この組み合わせはめったに見られるものではない。ぼくはギタリストの木下尊惇以外の同名の人物を知らない。兄は○○厚という名で、これは歴史上の人物から取ったもの。この兄の名と脚韻を踏んで隣のおじさんがぼくにつけた名が「孝敦」。

この同じ語の並びをぼくはひとつだけ見つけた。「孝敦川」。「ひょどんがわ」と読み、済州島を流れているのだという。ぼくの名はまるで済州島からカルマン渦列に運ばれ、東シナ海側から少し奥まった地にあるぼくの生家の隣のおじさんの発想に到達したのだ。きっと。そう考えることにしよう。『ブラジル宣言』から3年後の1991年、メキシコにいたぼくはよく、「お前は韓国人か?」と訊ねられたのだったな、そういえば。