試写会に呼んでいただいた。@シネマート六本木試写室
マリア・ノバロ『グッド・ハーブ』(メキシコ、2010)
つい最近、「メキシコのアカデミー賞」、などという言い方はあまり好みではないが、そんな位置づけのアリエル賞で助演女優賞とグランプリを受賞した作品だ。
原題をLas buenas hierbas という。ハーブだ。良い草だ。そのままだ。つまり薬だが、薬ではあるのだが、薬はまた毒でもある。薬物が軍隊同様、国家の管理下に置かれるゆえんだ。カストロもラモネも、そしてウンベルト・エーコも言うように、現代の紛争の多くはエネルギーを巡る攻防だが、それは軍隊が導入される紛争のこと。軍の導入されない影の紛争の多くは、薬物を巡るものが多い。
娘と認知症を発症した母の話だ。そういえば、叫んだりわめいたり泣いたり、つまり、修羅場と愁嘆場が順繰りにやって来るというものが想像されるかもしれない。そういったシーンがなくもないが、そういったものは最小限に抑えられているのが良い。
娘ダリア(ウルスラ・プルネダ)はシングル・マザー。息子の名はコスモス。子供の父親とは結婚せず、若い男を自分から誘ったりするような人物。肩や腕に入れ墨を入れ、鼻にピアスをしている。コミュニティ・ラジオのDJをし、仲間たちとはマリフワナだってやっている。「コミュニティ・ラジオ」というのはradio alternativa「オルタナティヴな」という形容詞で形容されるラジオだ。以上が重要な細部。
母親ララ(オフェリア・メディーナ)は先スペイン期からの薬草文化を研究する研究者。植物園かと見まがう家に住み、さまざまな植物を育てている。これも重要な細部。ちなみに、彼女は娘や孫をよく植物園らしきところに誘うが、これはメキシコ最大の国立大学UNAM(メキシコ国立自治大学)のキャンパス内にある植物園らしい。ぼくもその植物園には行ったことがある。
さて、つまりこれはヒッピー文化の中で教養形成し、文明に背を向けて自然と共生するオルタナティヴな生き方を選んだ(世代の)人々とその娘世代の話だということ。この世代の者が老いに直面しなければならない時代になったということ。サパティスタと政府の仲介役にも立ったらしいオフェリア・メディーナにはぴったりの役と言うべきか? その彼女が急速に老ける役をやり、おむつ姿までさらして鬼気迫る。加えてジョン・レノンらも師事したという呪術師マリア・サビーナの映像まで挿入されるから、この理解は強化される。
有機的で持続可能な、自然と共生を意識した生活をしていても認知症になる人はいる。認知症になれば娘の名前も忘れるし、妙な幻覚も見る。失禁もすれば周りに迷惑をかける。でも恍惚の人になっていく過程で、娘の父親とは違う男との関係をほのめかしてしまったりするところが、この世代の人たちの利点(?)。だからもうすっかり意識のなくなった母親に娘は、「何人恋人がいたの?」と訊いたりして切ない。
冒頭のシーンで母親がやっていたように、娘がアロエの樹液を掻き出す作業をしはじめたところで、物語の円環が閉じることが告げられ、こちらはそろそろ映画の終わりを意識するのだが、その瞬間から実際の映画の終わりまでの1、2分のシークエンスは、人によっては衝撃の展開と見るかもしれない。娘が枕カバーにほどこしていた刺繍が皮肉で悲しげだ。
7月23日よりシネマート新宿にてロードショー。