2011年5月2日月曜日

言葉が言葉を産む

昨日、かつて紹介したMDノートのカバーに使った紙がぼろぼろになったので、外すことにした。で、気になってGoogleやらTwitterやらでMDノートを検索してみたら、もっといいのがあるぞ、との情報が。それが、これだ。Lifeのノーブル・ノート。誰かがものすごく紙の質が良くて書きやすいと紹介していた。

頭の隅の引っかかるものがあったので思いを巡らせ、吉祥寺アトレにある文具屋で見た記憶があったと思い出した。それで、仕事に向かう途中に買ってみたのが、これ。オレンジのやつがノーブル・ノート。白いのはMDノートだ。これにもポケットはないが、確かに書き心地は良さそうだ。

ところで、先日、エルネスト・サバトが死んだ。もう1、2ヶ月で100歳だったのに、その手前で死んだ、とことさら書いていた新聞があった。これにもなにやらもやもやとした思いが……思い出した! ボルヘスの母親だ。ボルヘスの母も100歳を目前にして死んだ。そのことを問われ、ボルヘスは「あなた方は十進法にとらわれすぎている」と答えたというエピソードが残っている。それを思い出したのだ。さすがはボルヘスは発想の転換をぼくらに迫ってくる。なるほど、十進法にとらわれなければ、99歳は百引く一で白寿の年だ。

何か書いてしまうと、こうしてそれに付け加えたりそれを修正したりしたくなって、文章は文章を産む。言葉は言葉を産む。昨日はしかし、絵が絵を産む話が話題だった。

これだ。渋谷駅の井の頭線と山手線を結ぶ通路に展示された岡本太郎の壁画「明日の神話」に福島第一原発を思わせる絵が付け加えれていたというもの。それについてツイッター上で書かれた記事を集めたものが、さっきのリンク先のページ。すっかりだまされて太郎が予言をしていたとつぶやく人もいれば、バンクシーみたいだという人もいれば……

そのいたずらはもう撤去されたらしいが、残念だ。宮沢章夫は本当にバンクシーが来たんじゃないのか、と書いていたけれども、それもすてきな考え。ちなみに、バンクシーというのは、「浴室の窓からぶらさがる裸の男」などで知られるイギリスの覆面アーティスト