2011年5月22日日曜日

最近の収穫

金曜日は卒論の学生の相談を受けるうちに、そのまま大学近くのプロペラ・キッチンで夕食。ワインのサービス券をもらってきた。こんなものをいただいては、また行ってしまうじゃないか。

土曜日は研究会。その後大学時代の友人たちと夕食。いと数年で大学入学30年になるのだと話した。

ご恵贈いただいたのが、管啓次郎×小池桂一『野生哲学:アメリカ・インディアンに学ぶ』(講談社現代新書、2011)。

管さんの「インディアンになる試み」を展開した5章の文章に、ナバホの創世神話を扱った小池さんの劇画を添えた一冊。おそろしく幅広なオビがまた秀逸。第1章に取り上げたニュー・メキシコ州のアコマだろうか? 「メーサ」(テーブル)と呼ばれるテーブルマウンテンなのだろうか? プエブロ・インディアンの土地を歩きながら考えるこの章で秀逸なのはこの洞察。

白人たちが設立したヨーロッパ型の国家は、人間がはじめてこれらの大地に住むようになって以来の約束事である「土地との関係」を、まだ一度として真剣に考えるにいたっていない。これに対して、土地の人々の文化は、それぞれのローカルな区域で、数百年どころかときには数千年にわたって経験的に確立されてきた「土地との関係」を、そのすべての秘密とともに、実践的な知識として継承してきた。(35ページ)

このところ嬉しい文庫化が続いている岩波文庫では、

J・L・ボルヘス『七つの夜』野谷文昭訳(岩波文庫、2011)
コロンブス『全航海の報告』林屋永吉訳(岩波文庫、2011)


『七つの夜』は97年にみすずから出されていたものの文庫化。翻訳者の野谷文昭さんとぼくが初めて言葉を交わしたときに訳しているとおっしゃっていた一冊だ。講演録。この中の第七夜「盲目について」などはいろいろと考えさせられることがあるが、それについては稿を改めて。

コロンブスの方は既に出ている『航海日誌』(第一回目のそれをラス・カサスが編纂したもの)ではなく、書簡や報告書などで全四回のコロンブスの旅を明らかにするもの。〈大航海時代叢書〉のある巻の一部として出ていたものの文庫化。

たとえば第3回の航海ではコロンブスはオリノコ川河口まで達するが、彼の世界認識からいって、そこに大陸があってはならないので、ここは「地上の楽園」だから人間が近づくことはできないとしてそれ以上先に進むことを断念している。このときの論理が実にコロンブスの生きた時代の世界観のあり方を照らし出していて面白い。エドムンド・オゴルマン『アメリカは発明された』青木芳夫訳(日本経済評論社、1999)に分析され批判された詭弁だ。