2011年5月29日日曜日

今度はイタリア、というかポルトガルについて?

君は「というのも」で始まる本を読んだことがあるか? それがアントニオ・タブッキ『他人まかせの自伝:あとづけの詩学』和田忠彦/花本知子訳(岩波書店、2011)だ。(他人には「ひと」とルビ)

これもご恵贈いただいたもの。恐縮至極。和田さんもカルヴィーノに続いて間を置かずにこれだ。すごいのである。

さて、この本が「というのも」で始まるのは、その前に献辞があり、そこには「マリア・ジョゼへ、あとづけでなく」とあるからだ。そして「あとづけでなく」という献辞は「あとづけの詩学」という副題があるからだ。前書きと献辞とタイトルがメタレヴェルで絡み合っている。それだけでこの本の特徴が活き活きと提示されているようなものだ。

タブッキが自作についてその成り立ちと意義を語ったエッセイ5編(うち1作は未邦訳)を集めたもの。

タブッキは何作か持っているが、そのうち読んだことのある『レクイエム』(というのは、持っている本すべてを読んでいるとは限らないからだ。もちろん、持っていないからといって読んでいないとは限らない)についての章が最初に置かれている。

『レクイエム』(鈴木昭裕訳、白水Uブック、1999)は、語り手「わたし」がリスボンでフェルナンド・ペソアの幽霊に会うという捉えどころのない話で、タブッキがポルトガル語で書いた小説だが、そこに父の幽霊とも会うシーンがある。これが、つまり父の幽霊との邂逅がそもそもの小説の着想の始まりだし、それをポルトガル語で書いた理由でもあると、それ自体が小説的な語りで説明するのが本書の第1章だ。

パリのカフェで、前の晩、既に咽頭ガンで死んだ父の夢を見た、その思い出を記したところ、それはシュルレアリストたちの自動筆記(オートマティスム)のようなものになり、しかも、ポルトガル語を知らないはずの父がポルトガル語で話したという夢だった、と。だからこの小説はポルトガル語で書いたと。

しかもこの小説自体、まずポルトガル語で出版されるのだが、イタリア語版を出す際には、自分で翻訳はしなかったとタブッキは述べている。というのも、父がポルトガル語で話しかけてきた夢を記述したメモを、後でイタリア語に訳してみて考え直したときに、別ものだと感じたからだという。「無意識のうちに川を渡り、ほかの言語の岸に辿り着いた以上、意識下では逆向きに戻れないのだ」(30ページ)。

そして父の知っていた唯一のポルトガル語はrapaz(少年)という語の略語であるpáだけだった。「私」は父をイタリア語の略語であるpa' で呼んでいた、つまり私たちはpa' 、páと呼び合っていた、と結ぶならば、本当に短編小説のようではないか?

さすがはタブッキなのである。