夕刊には既にそのニュースが掲載された。夕方以降のTVのニュースもそれを報じた。ビン・ラデンは死んだのではなく、殺されたのだということがわかった。
オバマの演説だ。
(ここにはオバマの演説を再生したYouTubeの画像が埋め込まれていたのだけど、一夜にして削除されてしまった。暗い画面をそのままにしておくのも見苦しいので、削除した)
演説としてはうまいなと思う。結論を述べ、そのことの意義を説明するために、911を想起させるべくその日の描写をするところから始める。実に抜かりない演説だ。
そして言う。 "Justice has been done". 「正義は為された」
でもなあ、justiceは(スペイン語のjusticiaもそうだが)「正義」のみでなく「裁判」「司法制度」の意味もあるのだよな。はたして裁判は行われたのか? 生きて捕まえることができないような修羅場だったのだろうか?
CIAなどの絡む暗殺計画の対象に六百回もされた人物のことを考えている現在のぼくとしては、そのCIAを擁する国の長がこれだけ声高にだれかを「殺した」と言うと、さすがに肋骨あたりの神経が痛む。ましてや、その報に喜ぶ市民の姿がニュース映像として流れてきたら、もっと辛い。
キューバは、対人テロの最大の被害国の一つで、これまでに三五〇〇人が殺され、二〇〇〇人が負傷し障害者になった。キューバはまた、過去四〇年間にテロリズムによる被害が最も多かった国の一つである。(ラモネ『フィデル・カストロ』伊高訳、上巻、xi-xii)
フィデルは、米国による執拗な攻撃にさらされ、六〇〇回もの暗殺の陰謀の標的になりながらも、暴力をもって反撃することはなかった。(二〇〇六年末までの)過去四八年の間、キューバに起因する暴力行為は米国では一件も起きていない。それどころかフィデルは、二〇〇一年九月一一日にニューヨークとワシントンで起きた憎むべき「9・11事件」の後に、「米国による反キューバ活動があるにせよ、9・11事件の犠牲者に対する我々の深い哀悼の気持が弱まることはない。米政府とキューバ関係がどのようなものであろうと、米国でテロ活動をするために出国するキューバ人はいない」と明言した。さらに、「米国人を貶(ルビ:おとし)める言葉をたった一言でもキューバで見聞きすることがあれば、私の片手を切ってよい。我々キューバ人が、両政府間にある立場の違いを米国人のせいにしたとすれば、我々は狂信的なほど無知だと指弾されても仕方ない」とも語っている。(xiii)