2010年1月8日金曜日

夜が怖い

ある思惑があって、黒川直樹、田中厚子、楠原生雄編『世界の建築・街並みガイド6 アメリカ/カナダ/メキシコ』(エクスナレッジ、2004)なんてのを眺めながら、あれ、この建物はなんだかぼくが記憶しているのと見た目が違うぞ、ひょっとしてぼくは勘違いしていたのか! などとスキャンダルに見舞われている。

心をなだめようと頼った先が、

一九二九年、アメリカの労働者のわずか三・二%が失業し、証券市場は未曾有の高さに上昇し続け、誰もが金持ちになった。一九二九年一〇月二四日の証券市場の崩壊のわずか数日前、当時の最も著名な経済学者の一人であったイェール大学のアービング・フィッシャー教授は、聴衆に向かって、証券市場は高水準に達したが、まだ上昇し得ると話した。それから突然、谷底がやってきた。手元にあった貨幣を使って、投資したフィッシャー教授は、証券市場の崩壊で八〇〇万ドルから一〇〇〇万ドルを失ったと言われている。大恐慌が、アメリカを襲ったのである。(ポール・デビッドソン『ケインズ経済学の再生――21世紀の経済学を求めて』永井進訳、名古屋大学出版会、1994、7-8ページ)

これから言えることは、証券市場は頂点の直後に恐慌を引き起こすことがある(少なくとも過去に2度)ということと、経済学者に未来予測はできない、ということ。たとえそれが当代随一と名高くとも。

別に経済学者に限ったことではない。学問なんて過去か限りなく現在に近い過去の事象を分析し理論づけることしかできない。そこから引き出しうる未来予測は絶対ではあり得ない。たとえば、「証券市場は頂点の直後に恐慌を引き起こすことがある」という過去の観測から引き出しうる法則があったとしても、どこが頂点かはわからないじゃないか。

そもそもこの命題、何かおかしい。高いところから低いところに落ちるから人はそれを暴落という。いったん暴落したら、そこから見れば、その直前の高みは頂点に決まっている。

などと考えながら夢に落ちていったのが昨夜のこと。こむら返りと金縛り、幻聴、幻覚で眠られず、やれやれ、経済学の本なんて読むんじゃなかった。

まあ、あるイベントにこと寄せての読書。

そのイベントとは無関係だが、こんなイベントがある。これは去年やったこんなイベントのシリーズなのだが、今回はぼくは関係していない。