もう日付がかわっているから昨日のことになるが、気分としては今日、センター試験監督。病気による特別措置の教室で、試験時間が1.3倍の部屋。終わったら6時40分だった。初日は7時半ぐらいまでだったとか。1人の受験生に対し2人の付添と2人の試験監督。
こういう手厚い態勢にかんしては問題がない。すばらしい。こうあるべきだ。しかし、何度でも言いたいが、センター試験など、徒労感多くして得られるもののない仕事だ。入試システムの不条理を泣く。けっこう疲れるもので、12時を回るころまで体も動かなかった。
さて、こんなものを見つけ、これを読んで大いに共感し、そうそう、そういえば、と思い立ったのが、先日書きかけてやめたこと。前回の記事に告知した雑誌内、ぼくのひとつ前のコラムでの "Quizás, quizás, quizás" の紹介記事。「この曲の大きな特徴だといえるのは、歌詞のスペイン語の易しさです。非常に平易な語彙で作られていて、文法的にも接続法が1か所だけ使われていることを除けば、大学1年の中盤ぐらいのレベルですべて理解できてしまう内容です」と書いておきながら間違えたこの人を非難するつもりはないので、名前は伏すが、実は、平易だと思われるからこそ難しい、……というか、そこに落とし穴があるのよね。上にリンクを貼った同僚のブログはそのことに警鐘を鳴らしている。そして、コラムの筆者はその落とし穴にまんまとはまっている。「いつも私は君に質問する/いつ、どんな風に、どこで?」ではないんだよな。せめてその次に「そのたびに君は、」とでも書いてくれたらな。
ふたつ目。"Por lo que tú más quieras / hasta cuándo, hasta cuándo"(ぼくの記憶では "Por lo que más tú quieras"だったと思うのだけど、それはこの際、どちらでもいい話)を「君が一番好きなもののために/いったいいつまで? いったいいつまで?」と訳しているのは、いかにもまずいと思うのよね。これでは何のことかよくわからない。この "por" は代価の "por"、つまり、"por dios"というときの "por" 。早い話、お願いしているのだな。「何でも好きなもの」あるいは「一番好きなものをあげるから、お願い、教えて、いつまで待たせるの?」という意味だ。
ちなみに、いわゆるMaría Molinerの辞書には "por lo que más quieras"という表現は "expresión de ruego"(懇願の表現)とあっさり定義されている。
うむ。やはり、同僚の言うとおり、辞書を引こうね、という、ただそれだけのことだ。
あくまでも、これは誰もが陥る落とし穴。それにはまった人を非難しようとしているのではない。何より、歌の歌詞を正しく知っていただきたいということ。間違いは誰にでもある。辞書を引こうね。