いささか旧聞に属するけれども、ちょっと前に『ふたりのヌーヴェルヴァーグ』を観た帰りに、電車の中でつらつらと考えたこと。「ラテンアメリカ文学のブーム」を題材にしたドキュメンタリー映画が撮影されることはないのだろうか? ということ。「マリオとガボ、そしてカルロス、それぞれのブーム」
ホセ・ドノソとか、ブリニオ・アプレーヨ・メンドーサなんかの書いたものをベースに、ミゲル・リティンあたりが監督して、字幕監修は野谷文昭。「サバトの本の帯に『サバト、ボルヘスのライヴァル』なんて書かれることはあるのだけど、不思議なもので、私の本の帯に『ボルヘス、サバトのライヴァル』って書かれることはないんですよ」などと茶目っ気たっぷりに話すボルヘスとか、「ハイブリッドだから文化ってのは優れたものになるんだ」などとまじめくさった顔で語るカルペンティエールなど、前の世代の記録もふんだんに取り入れて、「わたしが近くのハンバーガー屋で肉をもらって、ガボの傷に当てたんですよ」とバルガス=リョサによるガルシア=マルケス殴打事件を回想するポニヤトフスカの映像で締めくくる。
どうかな?
こんなことを書くのは、思いのほかゲラを見るのや採点するのに苦労しているからだ。当初の見積もり以上に時間がかかっている。これからもかかりそう。やれやれ。
仕事の合間に、谷崎潤一郎『少将滋幹の母』(新潮文庫、1953)なんてのに目をくれたりしている。
月の光と云うものは雪が積ったと同じに、いろいろのものを燐のような色で一様に塗り潰してしまうので、滋幹も最初の一刹那は、そこの地上に横わっている妙な形をしたものの正体が掴めなかったのであるが、瞳を凝らしているうちに、それが若い女の屍骸の腐りただれたものであることが頷けて来た。(116ページ)
という、あの不浄観を扱った小説だ。これは別に映画では観たくないな。