カップヌードルごはんは本当にカップヌードルみたいな味がした。カップヌードル味と謳っているのだから当然か。
で、2日連続でジュノ・ディアスの話を聴きに行った。昨日のことだ。昨日はシンポジウム「オタク・災害・クレオール」と題されているし、前日のふたりに加えて小野正嗣が加わっているし、何しろ前日にカリブは他のラテンアメリカの国々と違うという明言を引き出したこともあるので、クレオールの話を展開してくれることを期待したのだが、残念ながら時間切れでその話はできなかった。
オタク……というか日本文化受容の話から始まり、日本のアニメなどが黙示録的ヴィジョンを湛えているという観測をディアスが語ったので、そこから「災害」のテーマとの関係に話が移るのかと思いきや、ここで小野正嗣が、いかにもフランス的知性の発揮とばかりに高度産業資本社会の特性たる均質性のことなどを持ち出し、ディアスはそんな小難しい話などしてなるものかとかわしつつ、過去20年間にアメリカ合衆国の初等教育では日本化が進んでいること、そこに日本文化受け入れの素地があることなどを話した。加えてジャンク・カルチャーが語る真実のことなどを話すものだから、直前にジャンク・フードを食べてきたぼくとしては、そうそう、クズの中に真実があるのだよ、と共感。
ディアスの意識には「オタク」と「災害」を結びつけなければという意識があるのだろう。日本とUSAの類似点として原爆について語りたがらないというメンタリティを指摘、その理由となるオブセッションを語るのがジャンク・カルチャーなのだとの見解を開示して示唆に満ちていた。
連日、TVではニューヨークの地図に黒丸が描かれ、ソ連の核攻撃を受ければこれだけの広い地域がダメージを受けると喧伝されているところに、ある日、1981年、『宇宙戦艦ヤマト』の放送が始まったのだ。そのとき子供たちが感じたリアリティというものを想像してみろ、なんて言葉などは、ディアスよりも5歳年上のぼくとしても、大いに実感できるところ。
もうひとつ重要なこと:作家になりたいが生きるためのバイトなどに挫けずにモチベーションを維持するにはどうすればいいか? の質問に対してディアスが出した答は、志を同じくする仲間と週一度は会って話をすること、というものだった。これは特に作家志望でなくとも言えることだと思う。大学院生などには、週一度はいろいろな話のできる仲間を持つことをぼくも勧めたいな。