2011年3月27日日曜日

電車内は夏暑く冬寒いものだ

地震後、中央線や山手線や井の頭線などの電車に乗った。このところの節電圧力のせいに違いない、暖房が極力抑えられているか、もしくはついていない。ぼくはそのことをとてもいいことだと思う。混んでいたりすると暑くて仕方がないというのが、このところの電車内の状況だったからだ。実際、ぼくが上京したころの国鉄(当時。現在のJR)の電車なんて、こんな感じだったのじゃあるまいか? 井の頭線など車内の電灯がしょっちゅう消えていたけれども、28年前もこんなものだったんじゃなかっただろうか? 

実際、そうだったはずだ。その思いを強くしたのだった。庄司薫『さよなら怪傑黒頭巾』(中公文庫、2002/1969)によって。

先日報告したような事情で『赤頭巾ちゃん気をつけて』を買ったついでに、4部作すべて、文庫本で買ってみたのだ。それが時間差をもって届いている。第2段は4部作第3段にして実際の発表順からいうと2番目になった本作。昨夜寝る前に再読してしまった。

薫くんがひょんなことから「下の兄貴」の友人の山中さんの結婚式に、兄貴やその他の友人たちとともに出ることになる。山中さんは医学部の出身で、学生時代は学生運動をやっていたのだが、今ではそのころ目の敵にしていたはずの医学部教授の媒酌で結婚をしようとしている。しかもかなり凡庸で、当時流行の仕方での結婚を。そうなるとかつての運動仲間たちがそれを裏切りと見なし、何か襲撃をしかけてくるのではあるまいかとの憂慮がある。実際、欠席者も多いし、出席した連中も実にいやらしい政治的配慮が見え見えの態度で接するものだから、息の詰まりそうな結婚式だ。この息詰まるような結婚式の様子が、しかし、当時の流行なども取り入れる形で活写されていて、実に面白い。その媒酌人の教授にからまれてしまった薫くんがその鼻を明かしてやるところなんかはわくわくしたな。

さて、薫くんはそこで、友人のガールフレンド、お茶大付属あたりに通う「ノンちゃん」とそのつれ「アコ」に声をかけられる。彼女たちはこの息詰まるような結婚式でただ無邪気にはしゃいでいるように見えたけれども、実は式の異様さには気づいていて、憂さ晴らしに薫くんを伴って銀座に繰り出す。そのときの記述だ。10章の書き出しだ。

 それからぼくは、ノンちゃんとアコと一緒に地下鉄に乗って銀座へ行った(地下鉄は三人で九〇円だから、タクシーで百円で行った方がいいわけだけれど、すごい行列だったのだ)。地下鉄の車内は、まあこの丸の内線と銀座線っていうのはいつでも暑いのだが、きょうはとにかくやたらとノリのきいたワイシャツにきちんとネクタイなんてしめてるせいでとりわけ暑く感じられた。(153ページ)

5月の話だ。5月でももう地下鉄は暑いのだ。丸の内線と銀座線は「いつでも暑い」のだ。

ぼくらが高校生のころに派手な火事で焼けたホテル・ニュージャパンとそこにあったニュー・ラテン・クオーターの描写なども出てきて、ここはぼくのじかに知り得なかった東京の様子が書かれているには違いないのだけど、おそらく、その時期からぼくが上京するころまでずっと、電車なんて夏は暑く冬は寒いものだった。電車はそれでいいのだと思う。60年代くらいまでは、映画の中でだって、みんな夏はスーツじゃなくて開襟シャツで扇子なんかを忙しなくばたつかせているじゃないか。それが自然なのだ。(ではいつから電車の中は夏寒く、冬暑くなったのか? やはりJRの民営化以後ではあるまいか? 新自由主義、グローバル化……)

ところで、庄司薫が当時のいわば風俗として取り入れた「口語体」的語彙(主に副詞だな)のうち、「相当」「ちょっと」なんてのは今でも立派に生きているが、「猛烈」はさすがに一時の流行として消え、今では言わない。「当時の風俗」ではないが、「きり」の使い方なんかもだいぶなくなっているなと思うことであった。つまり、たとえば、「そのお店には二度きり行ったことない」というような語法だ。