そのときにこんなことを書いてしまった。つまりぼくは『赤頭巾ちゃん気をつけて』の書き出しを完璧に暗誦できるって自慢しちゃった形になったんだ。でもこれを書き終えてからちょっと猛烈に心配になってきた。だってぼくは自分の記憶力を過信して時々間違えたことを言ってふんぞり返ったりして、後でその間違いに気づいて、ギャ、恥ずかしい、なんて思いをすることがよくあるからだ。
でも本当のことを言うと庄司薫の小説なんかもう手もとに持ってなかったから、調べようがないと思った。ところが調べようがないと思えば思うほど気になってきて、もう我慢できなくなって、買っちゃったんだな、文庫本。
買って大正解。というのも案の定、書き出しはぼくが記憶してるのとほんの少しだけ違ったからだ。ほんの少しなんだけど、その少しが問題なんだな。ひやりとしたの何のって。本当の書き出しは、こうだった。
ぼくは時々、世界中の電話という電話は、みんな母親という女性たちのお膝の上かなんかにのっているのじゃないかと思うことがある。特に女友達にかける時なんかがそうで、どういうわけか、必ず「ママ」が出てくるのだ。(中公文庫、7ページ)
実際には「ママ」は二文目に出てくるのに、最初から出てくると勘違いしていたのだ。これにはいくつか理由があるだろうけれども、このことを考え始めたらそれこそ庄司薫張りにいろんなこと考えて話がまとまらなくなりそうだから、いささか強引に(でも怒鳴らないでくれよ)、ぼくがそれこそ薫くんばりに、不覚にもちょっと感心しちゃったところってのを紹介しておきたい。
それは、まず薫くんが「特に好きな下の兄貴」に、悪名高い東大法学部って何をやるとこかと訊いたら、お兄さんは「要するにみんなを幸福にするにはどうしたらいいのかを考えてるんだよ」と答えて、法哲学の本と思想史の講義プリントを手渡した、という前提があって、この「講義プリント」にえらく感心しちゃった薫くんがそれを作った先生(丸山真男がモデルだと思う)に出会ったときのことを語る場面だ。
おととしの初夏の夕方のことで、ぼくは下の兄貴と二人で銀座を歩いていたのだが、そしたらバッタリとその先生に出会ったのだ。先生は「やあ、やあ」なんて言ってぼくたちを気軽にお茶に誘って下さったのだが、それから話が次々とはずんで、食事にお酒にと席を変えながらとうとう真夜中すぎまで続いてしまった。もちろんぼくはほとんどそばで静かに黙って聞いていただけなのだが、ほんとうになんていうか、この時ぼくはほんとうにいろいろなことを感じそして考えてしまった。どう言ったらいいのだろう、たとえばぼくは、それまでいろいろな本を読んだり考えたり、ぼくの好きな下の兄貴なんかを見ながら、(これだけは笑わないで聞いて欲しいのだが)たとえば知性というものは、すごく自由でしなやかで、どこまでもどこまでものびやかに豊かに広がっていくもので、そしてとんだりはねたりふざけたり突進したり立ちどまったり、でも結局はなにか大きな大きなやさしさみたいなもの、そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものを目指していくものじゃないか、といったことを漠然と感じたり考えたりしていたのだけれど、その夜ぼくたちを(というよりもちろん兄貴を)相手に、「ほんとうにこやってダベっているのは楽しいですね。」なんて言っていつまでも楽しそうに話し続けられるその素晴らしい先生を見ながら、ぼくは(すごく生意気みたいだが)ぼくのその考え方が正しいのだということを、なんというかそれこそ目の前が明るくなるような思いで感じとったのだ。そして、それと同時にぼくがしみじみと感じたのは、知性というものは、ただ自分だけではなく他の人たちをも自由にのびやかに豊かにするものだというようなことだった。(32-33)
この部分を、ある晩、何度目かに読んだぼくは、大学に落ちていじけるあまりぶらぶらと2年近くも無為に過ごしていたんだけど、そんな非生産的な日々に踏ん切りをつけて、大学に行ってみようと思うようになったのだった。そう言うと大げさかもしれないし、完全に本気にとられてもちょっと困るんだけど、ともかく、この一節は大学に行く決心をしたころのぼくの心をぐんと捕まえたんだ。本当に、これはもう「舌かんで死んじゃいたい」くらい恥ずかしい話なんだけど。