これを機に研究室をきれいに整理しなければと思った。本を拾い、辞書を片付け、書類を破棄したりしていた。ぼくが今日、ここに来ているということをあらかじめ知っていた、卒業の決まったゼミ生のうち、大学の近くに住んでいる3人がやって来て、ピクニックに行こうと誘ってきた。
ピクニックとはなんぞや、ときょとんとしていると、道ひとつ隔てた大学の東隣にある武蔵野の森公園に導かれた。芝生の上にシートを敷いて、3人が銘々に作ってきた弁当を広げた。なるほど、ピクニックだ。公園内では子供たちが、その母親たちが、こんな日で仕事に行くのを諦めたのかもしれない父親たちが遊んでいた。
のどかだ。3日前の大惨事が嘘のようだ。
こんなことを書くと不謹慎だとなじる者がいるだろうか? そんなはずはない。結局、停電はなかったけれども、彼女たちは彼女たちなりに節電に協力し、停電の無聊を慰め、少しでも日常を充実したものにしようと、それも安上がりに楽しもうとしているのだ。
不謹慎とは、わが東京都の首長のことを言うのだ。石原慎太郎のことを。
既に Asahi.com の記事になっているが、ぼくが見たのは「朝日新聞官邸クラブ」のアカウントのツイッター上での、「副長官番A)」によるツイート。こんな内容だった。
節電の要請に訪れた蓮舫・節電啓発担当相と会談した石原都知事。会談後に「震災への日本国民の対応をどう評価するか」と質問したところ、石原さんは「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べました
やれやれ、とんでもない耄碌じいさんだ。純然たる自然の摂理、天災(でなければその規模を見込めなかった知性と行政の力不足。でもこれは仕方がない。「人災」とはよぶまい)を「天罰」などというのだから。
なんでも「天」や「神」を呼び出して人間のモラルの問題に帰すのは、よほどの信心深い宗教家か、迷信深い老人だ。どちらも東京都知事なんて職業に置いておくべきタイプではない。あるいはこの人のような傲慢な人間がこんなことを言うと、この人自身が「天」にでも昇りたがっているのかといぶかられる。こんな傲慢な物言いで、この人はいったい誰を非難しようとしているのか? そんな非難すべき者たちを、少なくとも東京都の衆愚を、いったいこのお方はどこに導こうとしているのか?
いずれにしろ、東京都知事がこんな人間であることをぼくたち都民は恥じなければならない。一度は出馬を見合わせたこの馬鹿者にもう一度出馬しろと要請した馬鹿息子を蔑まなければならない。その馬鹿息子を幹事長に据えた政党に見切りをつけなければならない。そしてこの人たちを、この人たちの施す政策をこそ人災と呼ぶべきだろう。
天災は避けられない。ただ万全を期して乗り切るだけだ。人災は避けられる。相手にせず、遠ざけ、間違って選挙なんかに出てきたら投票しないこと。それだけで簡単に避けられる。
今日、東京外国語大学は後期日程二次試験を取りやめることを発表した。これを機に大学入試のあり方を根本から見直すというのはどんなものだろうか?