2011年3月13日日曜日

わが家の堅牢なるを知る

訳あって大学に行った。入試の準備が整ったまま(12日に予定されていた後期日程入試は16日に延期になった)、エレベータが停止したままの大学に。回廊式になった研究講義棟7階の内側に張り出したベランダには棚の中に置いてあった書類や鉢が散乱していた。

研究室に入ったら、もっとひどかった。平積みにした書類や本、安定の悪かった本、棚をはみ出していたファルケースや大きい辞書が机や床に散乱していた。

最悪だったのは、このところ使わなくなっていたプリンタ、コピーなどの複合機を棚の上に載せていたのだが、それが後ろの戸棚の上に落下していた。割れ物がなくて幸い。そして、その隣にあった愛しの『ラテンアメリカ主義のレトリック』の在庫もひと包み、10冊、まるごと落ちていた。


以前みんなで飲んだときに飲み残してそのまま放置していたワインのボトルが落ちなくてまだ救われた。

今はこの研究室を片付ける気力もない。ぼくはきっと、ある種、生命力を失っているのだと思う。

昨日、自分が書いた文章を見て、気づいたのだ。時刻からいって、ぼくはあの地震をシネマート(ビルの6階だ)に向かうエレベータの中で迎えたとしてもおかしくはなかったのだな。事実、数分の差だったし。そうなっていたら、閉じ込められたかもしれないのだな。閉所恐怖症の気味のあるぼくが。……そう考えて、なんだか力が萎えている。やれやれ。それとも歩いての帰宅で気力を使いすぎたのか? 

でも、ともかく、この研究室の惨状をみて、ぼくは反語的にわが家のアパートの堅牢さ、耐震構造の確かさを知ったのだった。だって、5冊ばかりの本が落ちていただけなのだから! 届いたばかりのブックタワーだって微動だにしていなかったのだから!