3連休? 関係ないね。会議日だ、今日は。車を車検に出したので、今日は……今日も自転車で通勤だ。
でも、ぼくはよほど運が悪いに違いない。
途中、所用があって、ある駐輪場に停めた。といっても駐輪レーンがいっぱいだったので、隙間に。
で、用も済ませて自転車を取り出し、走り出した。
しかし、どうも様子がおかしい……見れば後輪がぺったんこだ。
パンクか?
ぼくのタイヤにはパンク防止剤を入れてあるのだが、降りて自転車を押しながら歩いていたら、いつの間にかそれが出てきていた。よくよく見ると、空気入れのキャップがはずれている。
駐輪場に戻って探したら、キャップはあった。これはまだ望みがあるかもしれない。ぼくは悪運だって強いんだ。この辺はまだ土地勘がある。以前、このあたりに住んでいた。あの辺に自転車屋みたいなのがあったはずだ。そうでなくても、先日自転車通勤した帰り道、どこかで、あ、ここにも自転車屋が、と認識した記憶がある。ということは、先日の帰り道を逆に辿れば、かならずひとつは自転車屋がある。運の悪さはリスクマネジメント能力の高さ、というか、それを裏付けするグラフィック・メモリー(ある映画でこんな語が使われていた。視覚記憶、とでもいうのかな?)で乗り切るしかない。ぼくはそれに関してはそんなに悪くないはずだ。
結局、最初の心当たりで解決した。そこはやはり自転車屋だった。とってもひなびているけれども。もういい年の親父が出てきて空気入れの金具をきちんと入れ直し、空気を入れて、はい、200円ね。
——パンクではないってことですかね?
——わからないね。外から見ただけじゃわからないんだ。ともかく空気は入ったよ。
陰謀史観に立つならば、ぼくはいわば違法な駐輪をしたので、誰かに(実に邪悪な当局の者に?)意地悪をされて、キャップを外された。
もしくは、通りすがりの愉快犯がキャップを外した。
もしくは駐輪場に停められなかった誰かが腹いせに、一番手近にあったぼくの自転車のキャップを外した。
科学的に考えるなら、空気圧とか、それまでがたがたと振動しながら走っていたことによって空気入れのキャップのねじがゆるんでいた……かどうか、といったことを検証しなければならない。が、そんなこと注意していなかったし計測もしていなかったので、わかるわけがないじゃないか。
おのれを哀れむ愚か者としては、つくづくとぼくは運が悪い、とでも思うしかない。あーあ。
……でも、今日くらいの陽気なら自転車通勤も、あるいは自転車がパンクして徒歩通勤になったとしても、悪くはない。