2011年4月12日火曜日

日本の大学を憂え、自身を哀れむ

毎学期毎学期、授業の始まる前日には、最後の悪あがきのような、後にはひけない覚悟を決めたもののような思いを抱き、それを場合によってはブログに書いている。半年に一度のことだから、いい加減、慣れればよさそうなものを、ぼくもほとほと諦めが悪いのだ。

が、今学期はとりわけ、事情が異なっている。地震の影響、……というよりもそれに対する(なんだかまだ中途半端な)計画停電への対応というやつで、今年、とりあえず前期は1時限の始まりが8:30。つまり30分繰り上がりになったのだ。

けっ、1995年くらいまで、つまりぼくがドクターの学生のころまではそれが普通だった。東大もそうだったはずだし、外語もそうだった。元に戻っただけだ。そう考えることは可能だ。

いや、それどころかぼくは大学の授業なんて8時に始まってもかまわないと思っている。

日本の大学はたいていが90分授業だ。それを2時間と読み替えて時間計算し、単位数を算出している。ぼくは秘かに、それを字義通り2時間にして、8:00-10:00、10:00-12:00、12:00-14:00、14:00-16:00、16:00-18:00なんて時間割でもいいと思っている。授業担当者の裁量で適度に休みを取ったりして、それを休み時間代わりにすればいいのだと。あるいは逆に、1時間ずつにして一授業あたりの単位数を半分に減らすのでもかまわないのだが。

授業と授業の合間に休み時間も置いていると、理論上はメリハリが効くように思えるかもしれないが、その上に始まりが担当者の裁量で10分遅れる日本の大学の授業は、逆説的にダレてしまっているのではないかと思う。ダラダラと2時間、始まりも終わりもわからない授業、これが実はうまく収めるタイムテーブルなのかもしれない。そう夢想する。

話しがそれた。そんなわけで、20分とか30分とか40分とか、中途半端な時間に始まったり終わったりするのは、ややこしくていけない。8:30なんてけちくさいこと言わずに、いっそのこと8:00ぴったりに始めてくれ。

……と、思うことがある。

でもなあ、8:30……ちゃんと起きられるかなあ? おれはもう数年で50になろうとしているのだが、いまだに朝が心配なのだよ。