斎藤和義が自身のヒット曲「ずっと好きだった」を「ずっとウソだった」という替え歌にして原発を批判し、それを歌う姿をYouTubeにアップしたのは正確にはいつのことだったかわからない。7日の午前中からこの映像が爆発的にネット上で評判を呼ぶ。Googleのリアルタイム検索で見ると、正午くらいにはTwitterでの言及が非常に多くなっているのがわかる。
ツイッターというのは、たとえばぼくが誰かをフォローするとすると(その「誰か」の画面上に「フォローする」というボタンがあるので、それをクリックすると)、その人の発したツイートがぼくのツイッター画面上に出てくるという仕組みだ。ぼくは80人ばかりのツイッターユーザーの発する情報が有益だ、もしくはおもしろい、と思ったからフォローしている。ぼく自身とその80人前後の発した言葉が投稿順にぼくの画面に現れるという仕組みだ。
もうひとつのツイッターの重要な機能がリツイート。誰かの書いたことを再生産する仕組みだ。ぼくは、そんなわけで、80人ばかりの情報を得ているが、その80数人は、それぞれ何人か何十人か何百人か、多い人だと千人を超えるくらいの人をフォローしている。その人たちのフォローしている相手をぼくがフォローしているとは限らない。ところがその人が誰かのツイートをリツイートすることによって、それがその人のツイートと同様、ぼくの画面上に出てくるという仕組みだ。可能性として、ぼくは80人×数百人の情報を得ることができるようになるということ。リツイートは何重にもできるから、80人×数百人×数百人×……と可能性は無限大だ。
そのようにして情報が広まる。評判は評判を呼び、加速度をつけて広まる。「燎原の火」というやつだ。
斎藤和義の「ずっとウソだった」はこのようにしてあっという間に広まった。
ところが、肝心のYouTube映像はすぐに削除された。削除されても斎藤和義(あるいはそのスタッフ? ファン?)は手を変え品を変え映像をアップし続けた。イタチごっこだった。
総務省の「東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語への適切な対応に関する電気通信事業関係団体に対する要請」というのが出されたのが前日だった。斎藤和義のこの替え歌は「流言飛語」とみなされたのかと、ますます話題になった。
昨日、斎藤はUstream上でライブを敢行。そこで「ずっと好きだった」から「ずっとウソだった」のメドレーを歌った(途中、ネットの不具合による中断を挟みながら)。そのときの映像は今、YouTubeで閲覧可能。当初の「ずっとウソだった」は、最後に「ずっとクソだったんだぜ、東電も東北電も/中電も九電も」(記憶による再生。少し違うかも)と歌っていたのだが、ここでは「T電もK電も/S電もH電も」に変えている。それによってこの映像は、今のところ、削除されずに済んでいる……のだろう。
「東電」と「T電」。この間に「流言飛語」と表現の違いが横たわっている。消されるべき運命と生き残る運命の差が横たわっている。
明日は東京都知事選。TT選だ。原発が必要だとか日本は核武装すべきだとか、たわけたことを言っている老人IS以外の誰かに投票せねば。