ツイッター上での高橋源一郎のメイキング・オブ・『「悪」と戦う』。一昨晩は、彼がデビュー作を書いていたころの話。周囲とのかかわりを断ちきって孤独の中で書いていた。辛かった。つらくて続かないときには吉本隆明なら読めばわかってくれるだろうと思って書いていた。選外佳作のような立場で雑誌に載り、それが当の吉本隆明に好意的に評され、単行本化も決まった、とのこと。
幸福な体験だ。
この文章はこの人に読んでもらうべきだと思った、その相手に届いたという思いを本当に抱くことのできる人がどれだけいるだろう? 聞いて欲しいと思っている人に言葉が届いたという実感を持てる人がどれだけいるだろう?
ぼくは被害妄想やら卑屈さやらの塊なので、自分の言葉は届けるつもりのない人にしか届いていないのじゃないかとの疑心暗鬼を抱くことしばしばだ。まあ、届けるつもりのなかった人が思いがけない反応をしてくれれば、それはそれでとても嬉しいことではあるのだが。
ぼくの言葉が届いているのかいないのかはわからないが、ともかく、卒業してからも転機に訪ねてきてくれる学生はありがたいもので、転機と言っても早過ぎはしないか? という転機を迎えた元学生に会う。それは今日の話。
学生や元学生はともかく、大学の会議は出れば出るほど仕事が増えるもので、うーむ、こうした仕事をぼくに課している同僚たちにぼくの言葉は届いているか? などと愚問を発する気はさらさらないので、逆に粛々として仕事に打ち込む気もなく、……ますます愚図になるばかり。
たまには仕事をしなきゃと思って、それにしてもいろいろなところに連絡しなければならないなと、ため息混じりに昔もらった名刺を探したら……ない!
他の引き出しを探そうとしたら……開かない!
何かが引っかかっているようだ。引き出しの中に。ぼくの心の中に何かが引っかかっているようだ。
さて困った。どうしよう。この引き出しの中に入っている物の数々を、どうすれば取り出せるだろう? 教えていただきたい。この言葉だけは真摯に誰かに届けたいと思う。