2010年5月25日火曜日

盗まれた絵画と吹き込まれた命

 パリ市近代美術館からピカソやモディリアーニが盗まれたというニュースを目にしたときに、(こうしたニュースのときには常にそうであるように)真っ先に思い浮かんだのがハビエル・マリアス『白い心臓』有本紀明訳(講談社、2001)。主人公=語り手の父の話として、こんなのがある。


 プラド美術館で働いているとき、覚えているが、どんな事故にしろ紛失にしろ、いかなる破損また最小の疵でもその狼狽ぶりときたら並大抵ではなかった。従って、父に言わせれば、美術館の監視員や警備員のような人には、報酬を手厚くし特に満足させないといけない、というのも絵画の保全と世話だけでなく、その存在自体も彼らに依存しているからだ。

 ベラスケスの『宮廷の侍女たち』は警備員の心遣いないしは毎日の慈悲心のお陰で存在している、もしその気になればいつだって破壊することができる、だから彼らが誇りを持ち、楽しくゆったりとした精神状態でいられるようにする必要がある、という。(148ページ)

 うーん、なんだかかたい文章だな。まあいいや。ともかく、ぼくはこのパッセージを読んで、夜中、傷つけられたり燃やされたり盗まれたり、手を加えられたりするベラスケスやスルバラン、ゴヤなどを想像して戦慄し、反面、愉快になった次第。

 でも、こうして引用してみようと思って読み返すと、ぼくが印象として抱いていたよりも記述が少ないなと思ってしまう。19世紀メキシコの作家ギジェルモ・プリエトは、ユゴーの小説を読んだ者にとってはノートルダム聖堂は情熱やら表情やらを獲得すると書いているが、マリーアス(とぼくは表記したい)のおかげで獲得された命を、ぼくは記憶していたのだろうな。これを読んで後、行こうと思えば2度ほどプラード美術館に行くことはできたけれども、行ってない。ぼくが「楽しくゆったりとした精神状態」でない警備員みたいでないという保証はない。