学部の新入生オリエンテーションやら大学院の新入生オリエンテーションやらで、授業は始まっていないが、大学に顔を出すことになる。そして新任の歓迎会とか、会議とか……
われわれには
献本
という習慣がある。先輩とか友人とか、尊敬する人とか読んで欲しい人とかに自分の著書や訳書を献呈するのだ。本当は、金がないのであまり本は買えないけれども知的好奇心には満ちている学生なんかにあげる方が有効ではないかと思うのだけど、したがって、本は放っておいても買わなければならないのじゃないかという立場の人にただで行ったりする。
最近ぼくも、たまに献本をいただくことがある。この数日でいただいたのは、
キャリル・フィリップス『新しい世界のかたち』上野直子訳(明石書店、2007)
いやあ、これなんか、本当に、自腹を切ってでも自分で買ってなきゃいけなかったはずの本なんだけどな……
石橋純編『中南米の音楽――歌・踊り・祝宴を生きる人々』(東京堂出版、2010)
牛田千鶴『ラティーノのエスニシティとバイリンガル教育』(明石書店、2010)
お二人とも先輩だから、いただいちゃったら何だか恐縮しちゃうな。
3月の終わりくらいにも献本をいくつかいただいた。嬉しい。
さて、嬉しいことは嬉しいが、ここに問題がある。献呈には返礼がつきものだ。本のお返しは、本で。ぼくが次に出す本は2,940円×2巻本だ。訳者割引というのがあるのかもしれないけれども、ともかく、これを自腹で買って先輩方に送ったり、以前の献本の返礼をしたりする。印税が入る仕事なら(というのは、印税が入らない出版というのは、ぼくたちの世界にあってはざらだからだ)、印税相殺という形を取ったりする。実際の印税が自腹分を上回ればいいのだが、……
うーむ、怖いお話だ。印税が入れば年度末に税金は取られる。でも献本分が控除されるわけではない。
さて、ここまではしみったれた愚痴だ。ここからは背筋の寒くなる都市伝説。
大学の近くには古本屋がある。大学の近くの古本屋だと、当然、授業の教科書などがおいてあったりする。その昔、牧歌的な時代の古本屋には、十年一日同じ教科書を使い、同じ話ばかりしていた先生たちの教科書が何冊も、二束三文で置いてあったりして、学生たちはそんなものを安く買い求めた。
誰かが、そんな指定教科書の1つを探して本棚に目を這わせていた。教科書ではないが、見覚えのある先生の名を冠した本があった。手に取った。見返しに献辞があった。「恵存●●様」別の先生の名が書いてあった。著者の同僚だ。著者はその人に献本したのだ、そして献本を受けたその人は、それをすぐさま古本屋に売り払った。
ぼくらはすぐに古本屋に売り払われるために自腹を切って本を贈る。
怖いでしょ?