2010年4月4日日曜日

白熱教室


プロメテウスという名のホールを含む多目的会館アゴラ・グローバルが大学にオープン。その中にカフェ〈カスタリア〉が店を開けた。昨日は新歓の日で、ぼくが顧問を務めるサークルの者にちょっとした頼まれごとをしたので、顔を出し、ついでにそのカフェでエスプレッソなどを飲んできた。写真はオープン直前の会館。コンクリートの台座部分に今では木製のベンチが据え付けられ、入り口横にはカスタリアの看板が出ている。

アドルフォ・ビオイ=カサーレス『メモリアス――ある幻想小説家の、リアルな肖像』大西亮訳(現代企画室、2010)

セルバンテス賞作家シリーズなのだが、どうやらこのシリーズはやはり、エッセイに特化するつもりなのだろう。かろうじて予告されているフアン・マルセーやフランシスコ・アヤーラのスペインの作家2人は小説が出るらしいことは救い。

阿部和重『ピストルズ』(講談社、2010)

などと同時に手に取ったら、そりゃあ、後者を読み始めてしまう。小説とエッセイじゃあ読み方が違うのだから、どうしたってこの優先順位になる。ただし、ビオイのやつはエッセイとは言え、自伝なので、少しは小説のように読めるのは幸い。他に、

鹿島茂『パリの秘密』(中公文庫、2010)

NHK教育で「ハーバード白熱教室」などという番組が始まって、ええ、そりゃあFD(今となっては懐かしいフロッピー・ディスクのことでなく、ファカルティ・ディヴェロップメント。学部=教員=技能の開発、だ)などとうるさい昨今のこと、名にし負うハーヴァードで千人からの学生が詰めかける人気授業というのがどういうものかと、後学のために見た次第ですよ。

Justice: What's the Right Thing to Do? (Farrar Straus & Giroux, 2009) などの著者Michael J. Sandelの授業だ。たぶんこの本の基になった授業なのだろう。「正義」とか「公共性」、「四人の人間を助けるためにひとりを殺すことは正当化できるか」などといったことについて、本当に千人以上いるのだろう三層の講堂で、学生に質問をぶつけながらの授業。まず問題設定、そしてそれに関係する事例紹介、そして学生に疑問を投げかけ、質問とやりとりで興味をぐっと惹きつけてから、肝心の内容を講義するという形式。ベンサムやらカントやらを引きながら、公共性、定言的道徳原理などの話を展開する。

こうしたときの常で、いじましいぼくは副音声にして吹き替えでなく英語で聞いていて(リスニングの練習だ。本当にいじましいだろ?)、だからところどころよくわからない箇所もあったが(……いや、本当はところどころわかった、のかもしれない……コーヒーを淹れたりしながらだったし、……と言い訳)、まあそれほど晦渋に陥るでもなく、クリアな語り口だった。後半は原稿を読んでいて、ちゃんと「講義」なのだなと感心。

大講堂での授業がハーヴァードでも行われているというのが驚きではあったが、サンデルの投げかけた質問に学生が手を挙げて答えているところなどを見るにつけ、こうした光景は、しかし、日本の大学の授業では生まれにくいだろうなと、暗澹として思う。文化のあり方の問題だ。大学生にもなれば教室で教師からの質問に自ら手を挙げて答えたがる学生など多くはいない。彼我の差は大きい。だからまったくこれを真似た授業などできるはずもない。と思う。

でもまあ、それなりに考えさせられるところはあった。

ところで、1時間のこの番組、約30分ずつの2回の授業が紹介された。大講堂で学生に質問して答えてもらいながらだから、TAにマイクをそこまで運ばせたりするのに時間がかかるはずで、きっとそうしたもたつく無駄時間はカットされているのだろうが(だから実際以上にリズミカルに見えるのだろうが)、実際には1つの授業は何分からなるのだろうか? 1時間くらいだろうか? 日本の大半の大学のように90分では、少し間延びするのは避けられないのだろうか?