ある仕事のために類人猿(simio)に関する小説を読んでいるのだが、特にそれとは無関係に猿(mono)たちについての映画を観てきた。シアター・イメージフォーラムだ。
アレハンドロ・ランデス『MONOS 猿と呼ばれし者たち』コロンビア他、2019
コロンビアなのでFARCなどの反政府組織を思わせる民兵軍団(パラミリタル)が政府軍との交渉のために捉えた人質(アメリカ人の学者。博士と呼ばれる。ジュリアンヌ・ニコルソン)を監視する役目を負った8人の少年少女の話。ただ者ではない雰囲気を漂わせる伝令兼訓練係(ウィルソン・サラサール。本当にただ者ではない。元FARCのメンバーだそうだ)の監視下にある狼Lobo(フリアン・ヒラルド 字幕ではウルフ)、犬Perro(パウル・クビーデス 字幕ではドッグ)、大足Pata Grande(モイセス・アリアス 字幕ではビッグフット)、スマーフ(Pitufos、デイビー・ルエダ)、ブンブン(スナイデル・カストロ)、レディLady(カレン・キンテーロ)、ランボーRambó(ソフィア・ブエナベントゥーラ)、スウェーデン女Sueca(ラウラ・カストリヨン 字幕ではスウェーデン)の面々は、伝令に認めてもらえば男女交際も可能なようで、リーダー格の狼とレディはつき合っている(婚姻関係matrimonio が認められている)。人質の監視が任務だから、日常は比較的自由が許されているようで、酒を飲んだりして楽しんでもいるのだが、そのためにある事件が起きる。その事件がきっかけでリーダーの狼が自殺する。直後、政府軍の攻撃を受け、拠点を変えることになる。それまで乾燥したアンデスの山岳地帯にいたのが、一転、密林に隠れることになる。この転換が見事だ。
舞台の転換は人間関係の変化にもなる。観客の(この場合は僕のことだが)感情移入の対象もレディからランボーに移る。狼亡き後、リーダーを務めるのが大足で、レディは彼と関係を持つ。政府軍の攻撃直前の交信で何かを悟ったらしい博士は密林を流れる川を利用して逃亡を図る。猿たちの仲間のひとりであったランボーも逃亡を図る。いくつかの展開を見せるのだが、最後の川を利用してのチェイスは虚を突かれる。
最終的に最も興味深いのはランボーの存在。ソフィア・ブエナベントゥーラが演じる背が高く坊主頭のこの人物の解釈については意見の分かれるところだろう。パンフレット内の文章を寄せた芝山幹郎は「両性具有というよりも、性別に言及する必要を感じさせないのだ」と述べる。同じくパンフ内の文章で星野智幸は「女性が少年を演じたわけだが、この少年は以前は女の子でもあった、と解釈を広げてもよい。私には、ランボーの性は男女という二分法からははみだしてしまう、と考えるほうがしっくりくる」との意見だ。僕はずっと彼女は性同一性に問題を抱えているのだと理解して見ていた。
ランボーは二度、「猿たちの狩り」という遊び/儀式で仲間たちに追い立てられ、鞭代わりのベルトで尻を叩かれたりしている。1度目は15歳の誕生日に、2度目は逃亡を図った罰として。女の子にとって人生の最重要時である15歳の日にこうした仕打ちを受けるのだから、やはりそのマイノリティとしての性をからかわれ、いじめられているのではないだろうか。
エンドロールの最後の最後に「チンガサとサマナ川の保護にご協力を」というようなことが書かれていた。前半と後半のそれぞれ舞台だ。チンガサは国立公園らしい。乾いた山とむせ返る密林。アジトを移動するとき、新しいリーダーの大足が人質の博士に言うせりふが印象的だ。Espero que le guste el calorcito.(暑さが気に入るといいけど)
映画の後はヴィーニョ・ヴェルジで乾杯。