2021年12月7日火曜日

詩人は21歳にして死ぬ

ペルー映画祭@K’s シネマ(椅子がゆったりですてき♡)で観た:


ハビエル・コルクエラ『ある詩人への旅路』(ペルー、スペイン、2019年)


ペルーのランボーになる、21歳まで詩を書いて、やめる、と言って実際に21歳でやめた……のではなく死んだ詩人ハビエル・エローJavier Heraud (1942-63)の生前、キューバから母親宛に書かれた手紙をきっかけに姪(なんというのだろ、孫姪だ。sobrina nieta)に当たるアリアルカ・オテーロが、親戚やエローの元恋人、友人、戦友、死の証言者らをたどって彼の人生を再構築する。


カトリカ大の学生時代に最初の詩集 El río を出版したエローはパリに留学するなどした後、「詩人の家」というのを組織し、ネルーダら先達と交わり、友人たちとグループを組織した。キューバに映画を勉強するとの理由で行き、ゲリラ訓練を受け、ペルーの国民解放軍に参加、アマゾン地帯のプエルト・マルドナードで国軍に射殺された。


詩を志す青年として、イタズラ好きな青年で、でも写真に写るときは常に真顔だった人物として、わずか18歳で最初の詩集を出した早熟な詩人として想起されるエローが、やがてゲリラ戦士として、国民解放軍の同士として語られていく。そして最後には、プエルト・マルドナードを訪ねたオテーロに対して、当時エローに食事を供した者や銃撃を目撃した者、死体を運んだ者たちが証言する。


証言者によって少しずつ情報が異なる。エローが受けた銃弾を11発という者もいれば19発と言う者もいる。銃撃の瞬間をカメラに収めた写真家の未亡人は、一部のネガを現像せずに保存しており、自分が病気になったらそれを焼き捨てるつもりだという。武器をもっていなかったとされるハビエルが武器を手にした写真などもあるのだと。記憶よりも感情としてハビエルは存在すると言う者がいれば、感情ではなく記憶が残っているのだと言う者もいる。こうした記憶と感情の歴史が実に興味深い。


ハビエル・エローについては、ほぼ同時期、フィクションとしての映画も撮られているようだ。エドワルド・ギヨー監督『ハビエルの情熱/受難』(トレーラー)


終映後、ロビーではおそらくこの映画祭を組織した長沢義文さんだと思うのだが、エローの第一詩集『川』のレプリカ(コルクエラのあとがきつき)を観客に見せていた。あげることはできないけれども、手に取ってみるだけでも、と。



上映前、少し時間があったので、近くのブルーボトル・コーヒー・ショップで。