2011年2月3日木曜日

それを昔、あんパンと言ったのだ。

確かにあんパンと言ったのだ。かつて。俗語でシンナー遊びのことを。

ビニール袋にトルエンやらセメダインやら何やらを入れて、それが気化する空気を吸い込み、神経を麻痺させて幻覚・幻聴・快楽を得るという遊び。それがシンナー遊び。それをあんパンと呼んでいた。たぶん、全国に通用する俗語だったはずだ。

ぼくが中学生のころなど、そこら辺で技術の教室から接着剤をくすねて吸い込み、らりっている者などがいたなあ、と先日、中学の同窓会で友人たちと話したのだった。でも、ところで、なんでそれがあんパンなのだろう? 当時、不思議に思ったものだが、さりとてそれを調べるほど真剣に問題にしたいと思うわけでもない、その程度の疑問だ。

そしてその程度の疑問は一番手に負えない。一生解決できないからだ。

さて、昨日、水曜日の1年生の授業の前、教室に入っていくと(ぼくは時間前から教室で待機するのを常としている)、何人かの学生がパンを食べていた。遅い朝食か、それともブランチか? ともかく、パンを食べていた。

そしてそのうちのひとりが、スーパーかコンビニのビニール袋にパンを入れたまま(パンそのものも袋に入っているわけで、つまり二重に袋の奥に隠れている)、その袋に顔を埋めるようにしてパンを食べていた。

その姿を見た瞬間、30年来の疑問(解こうとも思わなかった疑問だが)が一気に解けたような気がした。なるほど! あんパンを食べている姿は、まるでシンナー遊びをしているようじゃないか。いや、つまり、シンナー遊びはあんパンを食べる仕草のようじゃないか。

この感動を誰かに伝えたくて、授業はまだ始まっていなかったが、ぼくは学生たちに発見したばかりのアナロジーを説いた。

「でも、なんであんパンなんですか?」

だと。質問が上がったのだ。おそらく、あんパンなんて俗語を知らない世代の大学1年生から。

いや。君ね、あんパンというのは、この場合、たぶん、提喩というやつで、コッペパンでもジャムパンでもメロンパンでもいいのだよ。そして数あるパンをあんパンで代表させるところが、きっと時代なんだな。少なくとも1970年代までの日本の記号の体系だったのだよ。パンと言えばあんパン、殺虫剤と言えばフマキラー。

ちなみに、最後に出した「フマキラー」は、『百年の孤独』の日本語訳で、当初殺虫剤の訳語として使われていた商標名。2000年くらいに新訳版が出たときにはさすがに「殺虫剤」に直されていた……と、そんな話にまでは、その場では、発展しなかったけどね。