2011年1月25日火曜日

V そして心残り

リカルド・ピグリア「短編小説についての命題」V

V
短編小説は秘密の話を内包するひとつの話である。

解釈によって現れたり現れなかったりする秘密の意味のことではない。謎とは謎めいたしかたで語られるひとつのプロットにほかならないということだ。話を作るさいの戦略は、そのような暗号化された語りにどれだけ役立つかということにかかってくる。ひとつのプロットを語りながら、どうじにもうひとつのプロットを語るにはどうすればいいかということだ。この設問が短編小説の技術的問題のすべてに共通するものだ。

第二命題:秘密のプロットが短編の形式の鍵となる。

ところで、IVで名前の挙がった「死とコンパス」これはアレックス・コックスが映画化し『デス・アンド・コンパス』のタイトルで日本でも上映された。その後VHSにはなったのだが、DVD化はされていない。古いVHSをかつて手に入れたので、そのうちHDD-DVDに入れておこうと思う。

すでにどこかに書いたのだっけ? この映画、一般公開までいったのかどうか覚えていないが、少なくともぼくは「スペイン・ラテンアメリカ映画祭」のようなフェスティヴァルでの上映作品として観た。ぼくが観た回にはコックスの舞台挨拶というか、アフタートークがあった。彼はこれを映画化するにあたり、「だれかが書いたこんな分厚い脚本」(とても長すぎて映画化できない代物)も目にしたと語ったのだった。それはビクトル・エリセのものではなかったのだろうか? ぼくはそう思ったのだけど、もう質問を受け付けなかったので確かめることができなかった。

ビクトル・エリセは93年、『マルメロの陽光』のプロモーションで来日した際、『エル・スール』以降そのときまでの約10年間にやった仕事のひとつとして、「ボルヘスのふたつの短編の映画化を試みた」と語ったのだからだ。ふたつの短編とは、「南部」と「死とコンパス」。そんな話を聞いた記憶も新しかったころなので、コックスの見た脚本というのがエリセのものではなかったのか、確かめておきたかったところだ。

確かめてどうするというわけでもないのだが……