1:チェーホフのメモにこんなのがあった:「ひとりの男がモンテカルロでカジノに行き、百万勝つ。彼は帰宅し、自殺する」。ここに古典的短編小説の形式が詰まっている。命題1:短編小説は常にふたつのプロットを語るものである。以上、要旨だけだが、さすがはピグリア。
2:ポーやオラシオ・キローガなどの古典的な短編小説ではこの第1のプロットが前面に出る形で語られ、第2のプロットは秘密裏に語られる。第2の秘密のプロットが最後に明るみに出ることによって読者は驚く。
3:ふたつのプロットの語り方は異なる。ある一定数のエピソードが、このふたつの語り方の両方に回収される。ふたつの語りのシステムの中で意味を持つ一定数のエピソードというのが短編小説構築の要。
4:ボルヘスの「死とコンパス」の例。具体的説明。
5:短編小説とはある秘密のお話を内包するひとつのお話である。命題2:秘密のプロットが短編小説の形式の鍵である。
6:チェーホフやキャサリン・マンスフィールドに始まる近代短編小説は、驚くべき結末というのを放棄し、むしろふたつのプロット間の緊張関係に注意を払って紡ぐ。
7:アーネスト・ヘミングウェイ「ふたつの心臓の大きな川」の例。
8:カフカは秘密のプロットの方を明瞭かつシンプルに語り、顕在化するプロットを細心の注意を込めて語る。この転倒が「カフカ的」短編小説の根本にある。
9:ボルヘスの場合はこのプロット1(顕在的なほう)がジャンルを構成するものとなる。プロット2、秘密のプロットはいつも同じだ。
10:短編小説の歴史の中でのボルヘスの業績は、秘密のプロット(プロット2)のつむぎかた、その秘密の張り巡らせかたをお話のテーマにしたこと。
11:短編小説は隠れて見えないものを見えるようにする技巧である。「瞬間的なヴィジョンが未知のものをわれわれに見せてくれる。ただし、遠い未踏の地に見せるのではなく、身の回りのすぐ近くの場所に見せてくれるのだ」というランボーの言葉こそが短編小説の核心。
ちなみにぼくは今年、アルゼンチンの作家の小説の翻訳を出すはずだし、うまくいけば、もう一編、やはりアルゼンチンの別の作家の小説の翻訳も出せるかもしれない。残念ながらいずれもピグリアではない。でもこんな明敏な方法意識を持った作家の小説も、できれば翻訳されるといいのだけどな、と願うものである。したいと考えている人は多い。少なくとも3人知っている。
ね? 多いでしょ?