種村季弘『魔術的リアリズム――メランコリーの芸術』(ちくま学芸文庫、2010)
1988年、PARCO出版から出た本。出たてのころ、池袋西武の(パルコでなく)書店リブロで立ち読みして、
(……)各時代にくり返し現れる精神史的常数が「魔術的リアリズム」であって、その特殊二〇年代ドイツにおける一局面を「ノイエ・ザッハリヒカイト」とする、という概念規定である。(略)いずれにせよ、それなら「ガルシア・マルケスの魔術的リアリズム」についてはいうまでもなく、「三〇年代アメリカの魔術的リアリズム」という言い方も、あまつさえ「ピエロ・デラ・フランチェスカの魔術的リアリズム」という言い方も、難なく成り立つことになる。(9ページ)
という箇所で、うーむ、どうしようか、買おうか買うまいか、と悩み、
書き残したことがいくつかあると思う。とりわけ一九四五年以後の魔術的リアリズムの動向のことがある。その一部はかつてスペインの魔術的リアリズムについての小文(略)に記したことがあり、バルチュスの中央ヨーロッパ的感性についてのべたエッセイ(略)も一種の魔術的リアリズム論として書いた。(287-288ページ)
の一文で、やはり今は見送っておこう、と思った一冊。貧乏な身には買う本の吟味も必要なことだった。
すっかりナラトロジーの用語のように勘違いされ、「マジック・リアリズム」などと言われるようになった「魔術的リアリズム」。これがその出自において美術用語だったということを思い出すためにも。ポスト表現主義の、ドイツで言う「ノイエ・ザッハリヒカイト」新即物主義とでもいうのか? それだったという話。
ちなみに、マドリードのソフィア王妃近代美術館には「魔術的リアリズム」と称する部屋がある。
それから、ちくま学芸文庫のためのオリジナル翻訳:
ル・コルビュジエ『マルセイユのユニテ・ダビタシオン』山名善之/戸田穣訳(ちくま学芸文庫、2010)
そうそう。明日はこれです。