確定申告の用紙をサイト上で作成し、プリントアウト。非常勤先からもらう額が意外に多いなと思っていたら、源泉徴収額が少ないだけのことで、結果、結構な額を納めなければならなくなる。原稿料やら印税やらといったものも(些少ではあれ)あるので、よけいに大変だ。そして、そんな収入があったというのに、暮らし向きは決して楽になっていない。どうしたわけだ? もちろん、ここには書けないわけがあるのだ。我が身を哀れむばかり。
マリオ・バルガス・ジョサ『嘘から出たまこと』寺尾隆吉訳(現代企画室、2010)
バルガス=リョサに罪はない。『嘘から出たまこと』は重要な著作であろう。エッセイ集、書評集だ。しかし、せっかくスペイン政府とセルバンテス文化センターから助成金を得て、セルバンテス賞受賞作家の翻訳シリーズの一巻として出す、しかもこの翻訳者本人の選定によるものなのに、たとえば『山羊の祝宴』といったいまだ訳されざる長編小説を出さずに、これを出すことの恣意性は問われなければならないだろう。ましてやこのひとつ前の同シリーズの同訳者(兼選定者)による一冊が、エルネスト・サバトの、やはりいまだ訳されざる記念碑的小説『アバドン』ではなく、いささかオールド・ファッションドなエッセイ『作家とその亡霊たち』であったことを思えば(この本に対して『朝日新聞』書評欄で奥泉光がなにやら皮肉な評をかいていたっけ)、ますますのこと。
『山羊の祝宴』はドミニカ共和国の独裁者ラファエル・レオニダス・トルヒーリョを題材にしている。ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短くも驚くべき人生』でもトルヒーリョは扱われている。ディアスの小説はもうすぐ翻訳が出るはずだ。ぼくならバルガス=リョサの作品の中から好きなものを翻訳しろと言われれば、今なら断然『山羊の祝宴』を選ぶ。ディアスと読み比べができるじゃないか。会話を促進できる。授業で使いたくなる。
くれぐれも言うが、バルガス=リョサが訳出されることは、何であれ嬉しいことではある。そのことに変わりはない。