チリのコンセプシオンで大地震があり、津波が来るというので、朝から警報が出されていた。津波を待った1日だった。
津波についての話は、台風の話と並び、子供のころ親から聞かされた自然の脅威を巡る最大の恐怖の物語のひとつだった。フィクションや民話という意味での物語を別にすれば。
大地震の後には津波というのがやってくる。津波はとても大きな波で、高い場所に避難しなければ人はそれにさらわれてしまう。いったん潮が引き、干潮か? と思った後に迫ってくるのだ。等々。そんな話を聞かされ、ぼくは心底震えた。それを語られたときを思い出すと、台風か何かでできたような大波が海岸を洗う映像がオーヴァーラップする。
今回、津波に注意を向けるついでに、1960年のやはりチリの大地震で、津波が日本にも押し寄せ、140以上の死者・行方不明者が出たとの記憶が呼び戻された。
ぼくが親から津波の話を聞かされたのは、きっと、その60年の記憶が親に残っていたということなのだろうなと気づいた。ぼくは63年生まれで、上のような話に震えおののいたとすれば、物心つくかつかないかの2、3歳のころのはずだ。だとすれば地震と津波から5年しか経っていないことになる。親がその津波を経験したとは思わないが、きっとそのニュースは聞いていただろう。それを物語って子供に伝えたのだ。
もちろん、その話を聞く光景に、大波のスペクタクルな映像が重なるのは、その後のぼくの映像体験によるもののはずで、しかも、台風ではないのだから、波しぶきが高く上がる絵などは津波の現状にもあっていないはず。津波というのは水位があがる現象なのだから。局地的な波のしぶきではなく、海面がせり上がる感じだ。
でもやはり北斎の富士の絵みたいに波が立っている方がドラマティックに思えるから、そんな絵を思い浮かべて自ら物語にしているのだろう。ぼくなりに様々な記憶が混入する物語となっているのだ。
記憶と言えば、チリのコンセプシオン。ここには大学があり、この大学で1962年、作家会議が開かれた。この会議が1960年代のラテンアメリカ文学のいわゆるブームの到来を告げたようなものだと、チリの作家ホセ・ドノソは位置づけている。誰にも害を及ぼさない大きな揺れが始まったのだ。