2022年7月5日火曜日

紙は神である

学生時代、僕が住んでいた北区は、可燃ゴミは専用の紙のゴミ袋を購入し、それに入れて出す決まりになっていた。ゴミ処理の煙が問題だとして東京都全般が炭カル入りポリ袋に換えられた時には、それは一種の後退だと感じた。当時はそのゴミ袋には氏名記入欄があって、名前を書くようになどととんでもないことが言われていたので、僕はこれを決定した当時の東京都知事・鈴木俊一の名を書いて出していたものだ。


スーパーなどのレジ袋が有料化されたとき、これもまた民にのみ苦労を強いるこの国の官の圧政だと思ったし、何しろレジ袋はゴミ袋として使えるので、素材があやしくどこがエコなのかわからない「エコバッグ」を持つくらいならと金を出して買い続けている(レジ袋が無料の時代、不要にポリ袋を入れてくるスーパーの過剰サービスに辟易していたので、まあ、一長一短ではある)。


ところで、昔、イメージとしてのスーパーマーケット(つまり、フィクションや広告での買い物帰りの風景)は紙袋を提供していたものである。実際には、紙袋に入れてくれるところはほとんどなかったけれども。


さて、僕は廃棄時に分別を強いられるような肉や魚のプラスチック・トレイが大嫌いである。卵のも。プラスチックの廃棄が問題ならば、レジ袋を有料化して消費を減らそうなどとけち臭いことをいわず、パッケージの紙化、もしくは紙への回帰を推進すればいいのではないかと思う。もっとも、商店街の肉屋や魚屋でもいまではプラスチック・トレイを使う時代だ。コストもはるかにこちらの方が安いのだろう。



あることがきっかけで、ここ1年ほど、生ゴミはこんな紙袋に捨てている。水切りもできるし、丈夫な紙なので破れることはない。


ある日、ふと思ったのは、卵はまだ紙パックで売っている商品があるはずだということ。いつも使ういちばん近くのスーパーには、しかし、残念ながら、それがなかった。で、少し足を伸ばして別の所に行ったら、あった。



案の定、割高な商品ではある。でもまあ、100円くらいの差ならば、僕はむしろ喜んで差額を払いたいと思うのだ(いや、本当は決して喜んではいないけれども、それはまあ、言葉のあやというやつで……)。ついでにここのスーパーの弁当も紙の容器入りのがあったので、買ってきたのだ。こういうところが増えるといいな。


ちなみに、レジ袋は金を出して買うと言ったが、それはゴミ袋に使えそうな大きな袋だけだ。人のいるレジでお願いすると何も言っていないのについてくる、肉魚等の汁漏れを防ぐためらしいビニールの中袋は断固拒否する。コンビニのパン程度の買い物のためには、紙袋を持ち歩くこともある。これはある日、あるお菓子屋が商品を入れてくれた紙袋をついでに使ってから気づいたこと。遠い昔のイメージとしてのスーパーでの買い物のようだ。