2022年12月20日火曜日

ジョニー・アッベスの鞄

授業で以下の小説を読んでいる。


Mario Vargas Llosa, Tiempos recios, Alfaguara, 2019.


仮に『難儀な時代』と訳しておこう。1950年代、軍政を脱却して民主化され、農地改革などによって近代化の道を歩もうとしていたグワテマラを、ユナイテッド・フルーツとCIAが共謀して共産主義の、ソ連の橋頭堡になろうとしているとのキャンペーンを張った上で再び軍政化する話。民主的に大統領に選ばれて農地改革を進めたものの退陣させられるハコボ・アルベンス、その彼に恨みを抱いてCIAと手を組み、「解放軍」を名乗って政権転覆、その後大統領になるものの暗殺されたカルロス・カスティーヨ=アルマス、彼の愛人になるマルタ・ボレーロ、その家族、らの半生と、カスティーヨ=アルマス暗殺に関与したかもしれないエンリケ・トリニダー=オリーバやジョニー・アッベス=ガルシーアらの暗躍が交互に描かれてバルガス=リョサらしい展開だ。


さて、最後に名をあげたアッベス=ガルシーアはドミニカ共和国の独裁者ラファエル・レオニダス・トルヒーヨの秘密警察SIMの長官だった人物(カルロス・カスティーヨ暗殺にトルヒーヨが関与していた、という解釈なのだ)。つまり、この小説はまた『チボの狂宴』(2000/八重樫克彦、八重樫由貴子訳、作品社、2011)の続編というか、姉妹編というか、スピンオフというか、そんな趣もある。


トルヒーヨ暗殺後、SIM長官の職を解任され、日本大使館に飛ばされるジョニー・アッベスに関しても『チボの狂宴』で描かれているのだが、そこでは大統領ホアキン・バラゲールの視点から描かれていた。ところが今回はアッベスの立場から、もう少し詳しく描かれているのだ(XXX章)。大統領との会見の翌日、カナダ経由で日本に発つことになったアッベスは、こう叙述される。


 彼についての伝記や新聞記事、歴史書に現れる最後の写真(ただし彼はその後何年か、あるいは何年も生きながらえるのではあるが)は、この日の朝、カナダ行きの飛行機の搭乗口に向かう際に撮られたものだ。そこでの帽子をかぶった彼はそれ以前の写真ほど太っても膨らんでもいないようだが、私服姿、暗い色のネクタイに細身の三つボタンのジャケットを二つ掛けにし、大きな書類鞄を手にしている。まったく不釣り合いな白い靴下が、SIM長官は上品さなど微塵も知らぬ出で立ちだとのトルヒーヨ元帥の言葉を裏づけている。(295-96


 授業は10回から12回でこの小説を読み終えるという主旨のもので、毎回、参加者が内容をまとめて報告し、疑問点などを協議するというものだ。必然的に一度に30ページばかりを読むことになる。今日、このページを担当した受講生がハンドアウトにこの写真を貼りつけてきた(リンク)。現実の出国直前のアッベスの写真だ。小説での記述そのままである。この細部は『チボの狂宴』にはなかったもの。

(ちなみにこのリンクを貼った記事には、アッベスがその後ハイチに行き、デュヴァリエに仕えたとの説が紹介されている)


さて、バルガス=リョサはただ「大きな書類鞄」と書いているが、その手に持っている開口部ががま口式のその鞄は、Top Frame Briefcaseとかローヤーズ・バッグ、ドクターズ・バッグとも呼ばれるが、日本では圧倒的にダレスバッグとして知られている。ジョン・フォスター・ダレスが米国務長官として戦後の日本に来日した際に持っていたので、そう呼ばれることになったバッグだ。そしてダレスこそはサンフランシスコ講和条約後、奄美群島の日本本土復帰を「クリスマス・プレゼント」の言葉とともに伝えた人物であり、その後、弟のCIA長官アレン・ダレスとともにグワテマラへの軍事介入を強行した人物だ。もちろん、『難儀な時代』にもたびたび登場する。


たぶん、ダレス・バッグはこの時代、あるいは一般的な書類鞄だったのだろう。けれども戦後の日本においてはその名を得ることになるほどに印象的に映ったらしいダレスとの繋がりを考えると、アッベスが国を追われるようにして去る(小説の中では日本にということになっている)際に手にしていた鞄には、もう少しの形容詞節がついてもいい。



写真上:僕の愛用するヘルツのソフトダレスバッグ(リンク)。永遠の定番。