2022年12月4日日曜日

久しぶりなのだ

だいぶ長いことブログの更新を怠っていた。


いろいろと心を悩まされることがあって……というのは嘘で、単に愚図にしていただけだ。「していた」と過去形で書いたが、これから先もその愚図に陥らないと決まっているわけではない。


さて、そうは言っても最低限の仕事はしていた。


たとえば、これ。


ペドロ・アルモドバル『パラレル・マザーズ』(スペイン、フランス、2021。これの劇場用パンフレットにちょっとした文章を書いた。その一部が宣伝用コメントとして使われたりもした。


病院における子どもの取り替えの物語と思わせておいて、実際は1) 子どもや親といった関係が血縁による必要はないこと、 2) 劇中で演劇が用いられていること、の2点において『オール・アバウト・マイ・マザーズ』(1999の続編と言っていい。


一方、特にスペインの歴史との関わりを明示する必要のなかった前作との差異は、この作品のもうひとつのプロットであるスペイン内戦時の無縁仏(「仏」という語が彼らにふさわしいかどうかは別として)の発掘と再埋葬の作業に存する。内戦中ならば敵対する側であっただろう2人の母親が一度は子を取り替え、その後、それぞれにふさわしい子を持った上で和解し、無縁仏を手厚く葬るラストは、親子関係と国家の歴史(伝統)の類似と差異を暗示しているようでもある。


アルモドバルに特徴的な(カメラのホセ・ルイス・アルカイネに特徴的というべきか?)真上からのショットというのが少なかったという指摘をネット上で見かけたが、なるほど、言われてみれば1カットだけだったかもしれない。でもまあ、衣装やセットは相変わらずすばらしい。


つる子と二葉は相変わらず追いかけている。1118日には二葉の東京での独演会@日本橋公会堂に行ってきた。「子はかすがい」は2度目だが、巷間言われている子どもの役のうまさもさることながら、実はおかみさんの役割に独特の色気を出しているのだと気づかされた。女物の着物を着ていることもその一因だろうか?


またしても(去年に続き今年も)NHKの新人落語大賞、3位くらいの点数で大賞獲得ならなかったつる子も、今度、念願の「芝浜」おかみさんバージョンを聴きに行く予定だ。


今の家ではフレッツ光を使っていたのだが、今年に入ってから接続が悪くなっていた。一方で母の家などネット環境のないところに行くことも増えたので久しぶりにモバイル・ルーターを手に入れた。使ってみると家の中もこれ1台で充分用を果たすことが確認された。それで光を解約し、家の中でもモバイル・ルーターで済ませることにした。


もうひとつ最近の出来事としては、Audible を導入したことがあるだろうか。アマゾンの主宰するオーディオブックだ。サブスクリプションで聴き放題というのがあるので、たとえば、買うだけ買って積ん読中のものを、隙間時間に読み聞かせしてもらったりしている。なかなかいい。


ところで、原文に「視線」とあるのにそれを「めせん」と読む事例があった。「しせん」ではなく「めせん」と。俗語(かつての映像業界の俗語)「めせん」の横暴はここまできているのか?