洗濯機をさらに使い続けてわかったことは、30分、45分の設定だけでなく、本当に渇くまで時間を調節してやってくれる設定が乾燥機能にはついているということ。さすがに時間がかかるけど(数時間)、でも改めて取り出して干す必要はないようだ。いちおう、まだすべての機能を試していない段階で、ネガティヴに取られかねないリポートをしたままでは、アンフェアだと思ったので、追加。
今日は非常勤で行っている法政大学経済学部の前期最終出講日だ。木曜日の「表象文化とグローバリゼーション」では試験。金曜日の1時限も試験。他の曜日は来週試験なので今週が最終日。終わりが見えてきたと言えばそのとおりには違いないが、試験の作成などがあって忙しいという見方もできる。そんな一週間だ。そんな一週間の初日だった昨日は、幸い、ぼくたちの大学は暦どおり休日だったけれども、授業回数を確保するために授業を実施している大学もあったようだ。昨日は法政時代の教え子たちに会ったのだが、それというのも、クラスメートが今度結婚するから、お祝いのメッセージなどをビデオに収めるためにとのこと。昼間、素材を求めてキャンパスに行ったら、授業をやっていたようだと言っていた。今、確かめてみたら、確かに授業を実施する日だと書いていた。
日本人が働きすぎだなどと、誰が言い始めたのかわからない流説に押されるように、休日を増やそうとして不思議な制度ができたのは1980年代も終わろうとするころだったろうか? 祝祭日と日曜が重なった場合、翌日月曜日も休みとなり、その後、この流れの第2段として、固定の祝日のいくつかが移動祝祭日になった。東京オリンピック開会式の日を記念して、統計上もっとも晴れの日が多かった秋の1日(10月10日)を体育の日と定めていたのに、いつのまにかそれはどこかの月曜日に移動になった。そしたら雨が降り始めたように思うのは、たぶん、ぼくの思い過ごしだろう。海の日なんて制定されたのがそもそも新たな休日創出のためだったと思ったのに、7月20日からあっという間に7月のある月曜日に移された。そして山奥(というのは言い過ぎ)にあるキャンパスでは無視されて授業日にされた。
一方にこうしてできた休日があり、他方に年々圧力を増す、授業を15回確保しろとの文科省からの圧力がある。どこの大学もジレンマを抱え込む。ぼくたちの大学は休日授業実施こそないものの、曜日の読み替えが行われる。回数の足りなかった曜日の授業を別の曜日に振り替えて行うというもの。今週金曜日に試験を行うのは、来週の金曜日が水曜日の授業を実施する日だからだ。それで金曜日だけ今週が最後となる。