昨日、18日(日)は大学の総合文化研究所主催のイベント。『語りと劇による「源氏物語」』、およびシンポジウム「言葉・身体・空間」を開催。
501人収容のホールなので、客はまばらに見えたけれども、それでも200人くらいはいたとのこと。予想されたことだったが、シンポジウムでは客はぐんと減った。うーん、もったいないなあ。坂手洋二さんはただ四角い空間で人前でしゃべるだけでそれが演劇的であることを説き、柴田勝二さんは宮廷内での政治的フラストレーションが源氏を色狂いへと走らせたとする自らの今回の劇作品の意図・解釈を説いた。ぼくは谷川道子さんにほとんど司会をお願いしてただおろおろしていた。
金曜日は授業を終えて学生たちと飲みに行き、土曜日は研究会を終えて、今年度から東京に越してきた仲間の家までお邪魔して午前様。昨日は打ち上げ。そして今日はこれから法政時代の教え子と飲みに行く。3連休ともなると次から次へと用が入る。やれやれ。
『文學界』八月号では大竹昭子さんが『野生の探偵たち』を書評しているというから、チェック。「この長大な小説によってボラーニョは、「詩」を定義してみたかったのかもしれない。境界線上に揺れる魂が放つ生の色気こそが究極の「詩」であるということを」。うむ。『野生の探偵たち』が長大な婉曲表現によって詩を描写した作品だというようなことは誰かも言っていたように思うけれども、その詩が「境界線上に揺れる魂が放つ生の色気」であるとは、言い得て妙。素晴らしい表現だ。