『新潮』というのは新潮社の文芸誌。その8月号をロベルト・ボラーニョが制した。とはどういうことか? 2人の論客が合計4ページにわたってボラーニョの本を紹介していた。いずれも2段組みの通常の読み物に比べて小さな活字の3段組み。ページ占有率にすればかなりのもののはず。
掲載順に言って、まず、都甲幸治さん。自身の連載ページ「生き延びるためのアメリカ文学」の第29回として「さまよえるファシストたち――ロベルト・ボラーニョ『南北アメリカのナチ文学』」。文学事典とも短編集ともつかない形式で30人もの架空のファシスト作家たちの評伝を並べたボラーニョの傑作を紹介している。「ボラーニョの作品を読めば、我々が今まで中南米文学に対して抱いていたイメージは粉々に砕けてしまうだろう。ボルヘスなど中南米文学の最良の部分をきちんと消化したうえで、これほど現代的な作品を書いている作家がいたのか」。
いたのですよ。そしてまた、南北アメリカにまたがる作家のリストの一部をたどりながら、「反共の名の下にアメリカ合衆国は常に中南米の独裁者やファシストたちを支援してきた。そのせいでめちゃくちゃにされた国で生まれたボラーニョの、これが本音なのだろう」との指摘も忘れない。
さて、その数ページ先では豊崎由美さんが「ポリフォニックな傑作」として『野生の探偵たち』を紹介。ある読み方を提唱しているが、この読み方、ぼくは賛成だ。でなければ、このまったく裏を行くような読み方をするかだ。「そんな益体もない深読みをあれこれしたくなる、つまり豊かな小説なのです、この長い長い作品は。(略)反則の読み方を示唆してまで読んでほしい傑作なのです」。
『野生の探偵たち』はもう読んだから良いとして、『アメリカのナチ文学』(都甲さんのページにあった情報によると、英訳は南北両アメリカAmericasのナチ文学、とされている。実物は研究室なので確かめられないが、スペイン語原版は単数形でただアメリカとだけあったと思う。合衆国の作家たちも扱っているが、これをアメリカと単数形にすることの意味を英訳は汲んでいないということ)、翻訳が待たれるところ。
と、その前にぼくが今読まなければならないのは:
Leonardo Padura, El hombre que amaba a las perros (Barcelona: Tusquets,2009)
妻をガンでなくした作家になろうとしている男イバン、表紙には愛犬を従えたトロツキーの写真。これが『アディオス・ヘミングウェイ』のレオナルド・パドゥーラの作品であるなら、読みたくなるじゃないか。原書にして573ページ。『野生の探偵たち』より数ページ短いだけの作品。『犬を愛した男』。読む。