九州電力が玄海原発の再開のために開いたケーブルTVでの説明会番組、これに寄せられる意見の中に、九電から指示を受けて社員が出したものがあったとのこと。これをしてネット上でのニュースが軒並み「やらせメール」と報じていた。昨日の夕方、夕食の準備をしながらTVのニュース番組を流していたら、やはり「やらせメール問題」と言っていた。
いいたいことは2つ:
「やらせ」とは、ぼくが知る限り、「過剰演出」のこと。ドキュメンタリー番組などで再現ドラマのように演じさせておきながら再現ドラマと名乗らないこと、のはず。会社からの指示で社員が自分の意見ではない意見のメールを送ることは、果たして「(過剰)演出」なのだろうか? もっと重大な何かを意味してはいないだろうか?
2点目:「やらせ」とはあくまでも放送関係者の使うジャーゴン、俗語であって、ニュースなどに無前提で使える単語なのか?
気になった。チャンネルを回すと、NHKではさすがに「やらせ」という単語は使っていなかった。「メール問題」だった。他の民放局(たぶん、日本テレビ)では、「いわゆるやらせメール問題」と言っていた。まだ、かろうじて「やらせ」という単語が俗語だとの意識があるようだった。
何よりも情けないのは今朝の『朝日新聞』。見出しには「 」すらつけずに「やらせメール」と出ていた。本文ではまだしも「 」つきだったけれども。
ぼくには職業柄、アカデミック・ライティングのオブセッションがあり、俗語と思われるものを俗でない場所で使うことへの激しい反発がある。かりにもニュースにおいて自分たちの業界の裏のジャーゴンを使うことに対する自己規制のかからないメディアへの軽蔑の念がある。それをだらしなく広めてしまう他メディアへの憤りがある。(内側の事情と社会性とを区別できない幼児的なメディアや、その幼児の幼児性を認めるばかりか、迎合すらするメディアに何が期待できるというのか?)
何よりこの問題、「やらせ」つまり「過剰演出」というレベルのみではなく、上に述べたように、もっと重大な論点を含むように思うのだ。会社は従業員の思想信条に反する行動を強制しうるか、という問題。経済は倫理に先んじるべきか、という問題。「やらせ」なんていう俗語で表現しているようでは、こうした問題が隠蔽されるように思うのだ。「強制メール」、「無理強いメール」、「偽造投書」、「世論操作」、「思想統制命令」問題とでも呼んだらどうだろうか。