着たくたって着られない服がある。似合わないと思うからだ。
で、ぼくは帽子は似合わないと思うからほとんどかぶらない。しかし、夏になると最近では髪の保護も少なくなってきた頭を守るために帽子でもかぶろうかという気になる。ハンチングやレイン・ハットを盛夏にはたまにかぶる。
ところがどうにも似たようなハンチングをかぶっているやつが周りにいる。比較的親しい仲にいる。
困った。
こういう現象を最近の人たちは「かぶる」というからよけいに困る。ダブること、重複すること、同じものを着たり持ったりすること、なんでもかんでも「かぶる」だ。つまりぼくはその友人と帽子が「かぶってる」のだ。
いや、ぼくは帽子をかぶっているのであって、帽子がかぶっているのではない。
やれやれ。若い衆の言語の乏しさにはついて行けないぜ。
……いや、この語法を広めたのは決して若い衆ではないのだが。つまり、ぼくは今、「若い衆」を不当に非難してしまったのだが。……すまん。
ま、ともかく、この単語を聞くたびに、ぼくなぞは男性週刊誌の裏表紙などに載っている包茎手術を勧める美容整形外科医院の広告の、タートルネックの青年のわびしい表情を思い出していけないという話は、以前に書いた(だから、「若い衆」を思い出してしまったんだな、きっと)。だから繰り返さない。
そんなわけで、かぶらないために……いやかぶらないでかぶるために、麦わら帽子。かぶれることはあるまいが、これもだれかとかぶるのか? いや、だから、ぼくがかぶるのだってば。
ところでこれは麦わら帽子なんだが、……まさか、ストローハットと言うんじゃあるまいな?
やれやれ。