2014年12月2日火曜日

「壁ドン」とは何の丼だ、とつぶやいてみる

日付が変わったが、12月1日には流行語大賞の発表があった。ノミネートされた語の中に「壁ドン」というのがあった。壁を背にした女の子を男が追い詰め、壁に「ドン」と手を突き、迫る、というもの。

それを「壁ドン」と名づける命名センスのなさに、まずは驚け。そんなセンスのない名が流行語になってしまうことにもっと驚け。あきれろ。

で、次なる問題。これについて、ある人が、Facebook上で、そんなことされたら怖くないかな、と書いていた。ぼくは早速反応して、こういうコメントを書いた。

威嚇ですね。相手を追い詰める行為です。ぼくならそんなことされたら、顎に掌底を入れ、腹(または股間)に膝蹴りを入れます。あくまで反射的に。

誰かが、いや、あれはされる女の子もその先を期待しているからいいんじゃないの、と書いてきた。

ふむ。そうかもしれない。しかし、ぼくにはまだ言いたいことがあった。だから書きこんだ。こういうことだ。

 ぼくは高校3年生の時、180cm100kgの友人(その直前まで友人だと思っていた男)に同様の仕打ちを受けたことがあります。もちろん、ぼくには「期待」などありませんでした。彼にしたところで悪意もないし、性的(?)な意図もない。突発的な思いつきの冗談だったようです。でもそれは本当にびっくりするできごとでした。上で書いたほど効果的な反射行動は取れなかったけれども、ぼくは一瞬後に蹴りを入れ、喧嘩に発展しました。彼は謝り、ぼくもそれ以上は追求しませんでしたが、その後、ほとんどしゃべらなくなりました。  
 本当に「期待」が存在していればいいのかもしれませんが、こんなものが流行語になるほど流行るのだとすれば、勘違いする輩はいないわけではないでしょう。心配です。  
 「期待」も存在しないのにそんなことをされて、そこに好意が生まれるとすれば、それはまるでショック・ドクトリンというか、洗脳というか、そんなものだと考えるのは飛躍が過ぎるでしょうか? いずれにしろふたりで同じ恐怖をくぐり抜ける吊り橋効果とは少し違うと思います。 
 少なくとも、追い詰められて脅されることを待ち望む人間の気持ちはぼくにはわかりませんね。 
 失礼しました。ついこんなことを書かねばならないほど、ぼくはその高校3年生の経験に傷つけられているのだと思います。

もちろん、呼称が「壁ドン」であっても、乱暴にではなく、そっと壁に手を置けば、それほどの恐怖は引き起こさないのかもしれない。けれども、追い詰める体勢なのは変わりがない。ぼくは、そんなものを待ちわびる、「ショック・ドクトリン」を「洗脳」を待望する時代が怖い。


ま、実生活で「壁ドン」(この語感も、あくまでも嫌いだな)をする人などほとんどいないとは思うけれどもね。だけどな、流行になっちゃうと、本当に、勘違いしてやりたがるやつがいると思うのだよな……