2021年1月8日金曜日

誰かがお腹を切ったって♪ 

奥泉光『雪の階』の文庫版で解説の加藤陽子がこの作品が三島由起夫『憂国』への応答であることを指摘していた。


なるほど! と思ったのはいいのだが、はて、『憂国』、僕は読んだことがあっただろうか? とんと思い出せない。三島は高校時代いくつか読んで、さほどの感興も抱かずにそのまま読まずに来たとの意識がある。去年は彼の自決50年目の年で、近所の書店にも新たに刷られた新潮文庫版の三島作品の主要なものが置いてあったので、買ってあった。ちょうどいい、『花ざかりの森・憂国』所収のそれを読んでみた。


わかったことは、僕はこれを高校時代に読んだような気がするということ。そして、まるで人がトラウマを忘れるように忘れてしまっていたのだということ。


「憂国」は新婚であるがゆえに二・二六事件に参加を求められなかった若い将校が、決起の二日後に新婚の妻と心中するというもの。事前のセックス、将校の切腹、その後の妻の後追いの自殺の様が事細かに描かれている。そしてそれがあたかも理想の軍人夫婦のあり方であるかのように。つまり性と死の快楽にたいそうな意義づけをした作品だ。三島のオブセッション。たぶん。


高校時代の僕ならば、今よりよほど右翼的なものに馴染んでいたから面白く読んだのではないかとも思うのだが、忘れていたのだから、やはり僕はきっとこの辺で三島を放擲してしまったのだろうと思う。当時の日記はもう手許にはないので、確認することはできないけれども。


この「憂国」への応答と考えると、奥泉のすばらしさは一層際立つ。結婚など鼻にもかけず男から男へと渡り歩く主人公が、両性愛者の兄将校とその相手の将校の「接吻」のシーンを、まるで芝居かがった場景を背に眺め、ふたりのピストルでの心中は伝聞と憶測のみにて語られ、主人公とは別の人物に伝わるという形をとっているのだから。



近年、「ハートロック」などと呼ばれて観光地化しているらしい故郷の海岸。本文とは無関係。