2021年1月6日水曜日

一月の計

昨日2002年の手帳を引っ張り出してきた話を書いた。月別のカレンダーに残りは全部自由記述欄という僕好みのレイアウトで重宝していたやつだ。能率手帳メモリーポケット3というやつ。4月始まりのものをずっと使っていた。


ひとつ問題があって、いかなメモ欄重視とは言え、さすがに1年かからずに使い終えてしまうことだ。この2002年版も10月11日で使い終えている。半年ほどしか保たなかったわけだ。


そんなこともあって、ノートと別に月別の予定表だけを持ち歩くようになった。そして今ではマックのカレンダーにスケジュールを記録している。これでも悪くはないのだが、やはり新規の用件を記入するときなどは手書きにまさるものはない。iPhoneでは小さすぎるしiPadやMacだとWi-Fiの繋がっていないところでは面倒だ。紙に印刷されているといいなと思うことはある。


実は、カレンダーは月ごとに印刷できるらしい。実は今日気づいた。で、こうしてノートに挟んで2ヶ月分くらい持ち歩くといいかなと思う。やってみよう。


ノート。最近はこんな風に、主に片面に書いている。前半は右側のページに、後半は左側のページに。もう一方の側は補足や付け足し、見出しなどにしている。インクの裏染みを気にしてのことなので、鉛筆書きのときはこの限りではない。


何か悪いものを見たのだろう。YouTubeから時々ノートの取り方みたいなビデオを推薦される。バレット・ジャーナルだのコーネル式だの、マインドマップだの、読書ノートの取り方だの……つまり、ノートとは既に発想や刺激から一段階経て何かの形式に結実したものでなければならないようだ。その形式に合わせること自体がもう発想を文章に結実させる努力に相当するみたいだ。それはメモの意味がないのではないかと、僕などは思うのであった。好きなように書けばいいのだ。それを見直して、第二段階は文章にすればいい。


ちなみに映っているのは、ある文章の引用。そのまま書き写した部分。