2020年7月15日水曜日

上半身裸の男たちと裸足の女

ペドロ・コスタ『ヴィタリナ』(ポルトガル、2019年)

試写会に呼んでいただいた。

僕はコスタはよく観ていると思ったのだが、実はそんなことなくて、『ヴァンダの部屋』(2000年/もう20年も前だったのか!)とオムニバス『ポルトガル、ここに誕生す』の中の一篇くらいしか観ていないようだ。本当はこの『ヴィタリナ』も前作『ホース・マネー』(2014年)らと関連づけて見た方がいいのかもしれないが、それはできない。

リスボンに暮らす旧植民地カーボ・ヴェルデからの移民労働者が死に、その妻ヴィタリナがやって来る。彼女は夫の部屋で葬儀後の喪のつとめを果たしながら周囲のカーボ・ヴェルデ人コミュニティの男たち、信仰を失ってしまった神父、若い労働者とその恋人(? 妻?)らと話し、夫のことを話す。

通常の移民という形態と異なり、ここでは男だけがあたかも出稼ぎのように家族を残して(かつての)メトロポリスに仕事に出るということ。ヴィタリナは1982年に結婚し、その後、何度か帰ってきては子どもを作った夫を40年近くも待っていたと、夫に語りかけるように言う。夫は結婚していながらいろいろな女の尻を追いかけ、パリにまでも行ったとのこと。カーボ・ヴェルデに大きな家を作っていながら、リスボンのこのスラムの家はあまりにもみすぼらしいなどと不平を言う。

つまりこれは、植民地から旧メトロポリスへの移民というだけでなく、単身赴任する男たちとそれへの妻の復讐の物語でもあるのだ。たとえばプア・ホワイトを描くケン・ローチとは違う切り口(植民地主義の遺制)に加え、男と女の問題という軸も加えているということだ。

だが、何よりもコスタの素晴らしいところは、映像だ。暗い夜道の葬列に始まって、ほとんどが暗闇の中に光が差し込む家や教会の中でのシーン。鮮やかな光と影のバロック絵画のようなコントラストの中にアフリカ系の住民たちが美しく浮かび上がる。ントニという若者と話すときのヴィタリナはちょうど鴨居や窓枠に囲まれて一幅の絵画のようだ。

フアン・パブロ・ビジャロボス『犬売ります』平田渡訳(水声社、2020)最近出た。