ジュリー・テイモア『テンペスト』(アメリカ、2010)
シェイクスピアが単独で書いた最後の戯曲『テンペスト』が原作。
戯曲『テンペスト』はミラノ大公プロスペローが、弟たちの陰謀によって国を追われてある島に暮らし、魔術を身につけて機を窺い、その政敵たちが近くを船で通った際に魔術で嵐を起こして島に呼び寄せ、復讐してミラノ大公に返り咲くという話。
地中海の島がほのめかされているけれども、実際のシェイクスピアはバミューダの島からのニュースをヒントに舞台を考えついたこと、プロスペローが島に住んでいた妖精エアリエルと怪物キャリバンを手懐けるその手腕が、まさにヨーロッパの植民地主義的統治そのものであると理解できること、プロスペロー、アエリエルといった名の含意は明らかな上に、怪物キャリバンがCannibal(人食い)のアナグラムであること、19世紀にはこの怪物がアメリカ合衆国にたとえられたこと、20世紀初頭にはその比喩が受け継がれて、逆に妖精エアリエル(アリエル)こそがラテンアメリカの文化の目指すべき姿だとされたこと、20世紀半ばには、しかし、逆に、われわれラテンアメリカ人はむしろキャリバンとしての自己認識を持つべきだとの発想の転換がなされたことなどから、いわるポストコロニアル批評の参照テクストとして注目を浴びた作品だ。デレク・ジャーマン(1979)やピーター・グリーナウェイ(1991『プロスペローの本』として)についで3度目の(たぶん)映画化だ。
テイモアの『テンペスト』はプロスペローをプロスペラ(つまり女性)にかえたこと(配役はヘレン・ミラン)。このことの意味は微妙だが(たとえば娘ミランダ〔フェリシティ・ジョーンズ〕との関係)、少なくともエアリエルとの関係がこれで面白くなった。エアリエル(ベン・ウィショー)もキャリバン(ジャイモン・フンスー)同様、プロスペロー……いや、プロスペラによって言葉で支配された植民地先住民の一部に過ぎず、彼女の命令を遂行した後には自由の身になりたいと考えている。ほとんど全裸に近い姿で白塗りで出てくるものの時には(特殊メイクによって)小さく乳房をつけたエアリエルが、時にプロスペラを誘惑するかの仕草をしてみせるから面白い。小田島雄志訳(白水社Uブックス)では彼がプロスペローに対し「私をかわいいとお思いに?」と訊く台詞がある。これは "Do you love me?" なのだが(今iBooksで『テンペスト』を探したらフランス語版とイタリア語版しかなかった。フランス語版によれば、M'aimez-vous?)、このやりとりがずいぶんとなまめかしくなる。
ただし、このアリエルをなかなか興味深い視覚効果を使って動かしているのだが、ぼくはあまりこれが好きになれなかった。いくつかの音楽同様、脱力した箇所。