2023年6月18日日曜日

父の日のプレゼントは……

父の日のプレゼントにはMacBook Air 15インチなど所望するものである。


僕にプレゼントをあげるような子など、いないのだけど。つまり僕はひとの子の父ではないのだが。


佐藤友美は「原稿を書くスピードは、パソコンの画面サイズにゆるやかに比例します」と断言している(『書く仕事がしたい』CCメディアハウス、2021110)。


僕はふだん、MacBook Air 13インチを使っている。本当は家ではそれを27インチのディスプレイに接続しているので、15インチどころか、かなり大きな画面で書いているのである。だから佐藤の観測が正しいとしても、何もそれより小さな15インチ画面に心を動かされるいわれはないのだ。


が、家の中でも気分を変えるために座ったり(ふだんは立って書いている)、ディスプレイから外して文字どおりラップトップで(膝の上で)書いたりしている(こうすると案外仕事がはかどる)。そしてまた旅行や出先での仕事の際には、まさかディスプレイまで持ち歩くわけにはいかないので、そんなときには13インチのMacBook Air の画面で作業することになるわけだ。


さて、そんなわけで、外での、あるいは旅先での作業の際に、確かに、13インチよりは画面が大きい方がいいと思うことがある。とりわけ、翻訳をする場合には、こんなふうに


全画面表示を二分割して左に原文、右に訳文のファイルを置きながら作業をしている。かつては12インチのMacBook Air を持っていて、そのディスプレイのサイズがこの作業にちょうどいいと思ったこともあったのだが、最近は老眼が進んだのか、13インチでもやはりもう少し大きい方がいいよな、と思うことが多い。だから15インチのMacBook Air発売の報を聞いて欲しいと思ったのであった。


ところで、MacBook Airを大学へ持っていくことはあまりない。今では授業のプレゼンテーションはiPad mini で行っている。プロジェクターに投影したiPad mini PDF資料(ここに直接書き込む)やノートアプリ(黒板代わりに使う)を操作するのだ。パワーポイントなどはほとんど使わない。こんなふうに(これは小さな教室なので、プロジェクターではなく、部屋のモニターに接続している例)。



軽いし持ち運びが楽だからmini にしているのだが、これも作業面積という点で言えば、最近は小ささを感じる。iPadはその他にPDF資料を読んだり、最近ではとくにそれで校正をしたりしているので、miniは少し小ささを感じる。辞書アプリを使用する分には小さく感じることはないが、ウェブブラウジングだともう少し大きいのが欲しくなる。いちおう、古い型の11インチのiPad Airもあるにはあるのだが、手軽さではやはりminiにまさるものはないのだけどな……


おそらく、緊急度から言えば、iPadを大きいのを携行することに慣れ、しかる後に、次に旅行に出るときに15インチのMacBook Airを携えていくことにする、という順番がいいのだろうと思う。


一方、僕はまだ手書きのノートもとる。以前の投稿で、こんな



ノートを作成して授業に臨んでいるという話を書いた。これは上の写真の教室で行っている「原典を読む」という授業のもの。外国語解釈の授業でこんなちゃんとしたノートを作るのははじめてのことだ。だいたいは本に書き込むだけだったから。


ノートのストックはまだまだあるので、それを消化する目的もあって、他の授業でもこんなふうに



ノートを作ってみた。これまで授業のためのノートはいつものなんでも書くノート(コモンプレイス・ブック)に書いて、その後、ワープロ・ソフトなどに書き写してファイルとして保存していたのだが(講義の場合、それをプリントアウトして話をする)、毎回、その日の分のみを読むにはこれでいいのだが、通時的に(つまり以前の回の話とかを)簡単にめくって探すことができるという点で、やはり一冊のノートをそれ専用に充てると何かと使い勝手のいいものである。


ストックはまだまだある(無地のノートを使いたいと願う時期とやはり方眼だと思う時期とが交互にくるので、両方のタイプのストックがある)。しばらくはこの方針で行ってみよう。

2023年5月24日水曜日

鹿児島県章には島がない

YouTubeにこんな動画を薦められた


緑健児の半生を紹介するアニメだ。


緑健児は極真会館の第5回世界大会のチャンピオン。極真の分裂後は新極真会の代表を務めている。動画では鹿児島県の出身としている。そのことに間違いはない。もう少し正確に言うと、鹿児島県大島郡瀬戸内町の出身だ。


さて、その緑、第4回の世界大会後、一度は引退して奄美に戻るが、そこへ師・大山倍達(極真会館の創始者にして当時の総帥)が訪ねてきて、父親に向かって世界大会まで緑を空手に集中させる環境を作ってくれるよう懇願した。そのことは本人も折に触れて語っているし、間違いないのだろう。そのエピソードを問題の動画も紹介している(25秒くらいの位置)。


しかし、である。大山倍達がインド出張からそのまま飛んできた、ということを表現するように、飛行機の航路を示す曲線は、東京から鹿児島本土までしか到達していないのだ。そうでありながら字幕には「(総裁が)我が地元まで来て下さった」と謳っている。


繰り返すが、緑の「地元」とは鹿児島県大島郡瀬戸内町だ。奄美大島の南のはずれだ。曲線の到達点のさらに400キロ近く先にあるのだ(しかも当時はまだ東京からの直行便はなかったから、曲線は一度鹿児島でバウンドしてその先にもうひと飛びしなければならなかったはず)。


僕たちの小学校の中庭には池があった(今はもうないかもしれないが)。人工の、コンクリートで囲った池で、池の中には与論島から種子島屋久島までの列島と鹿児島県本土を象った石というか島(川中島ならぬ池中島)が配置されていた。僕たちはその池を眺め、中ほどにある自分たちの島を眺め、池全体を眺めて鹿児島県という自治体の範囲を漠然と理解していた。


しかるに、昭和42年(1967年)制定という県章は薩摩と大隅の2つの半島の真ん中に赤い○(桜島を意味する)がある形になっている(リンク)。ここには島がないのだ。奄美群島やトカラ列島はもちろん、近場の種子島屋久島、そして甑島すらそこには象られていないのだ。桜がある、との反論は成り立たない。それは単に火山なのだし、大隅半島からは地続きなのだし。その大隅半島のえぐれ・くぼみはしっかりと再現されているのに、ひとつの島もないのだ。県の中央部の者たちは僕たちが小学時代に池を見て育んだ空間認識を共有してはいないということなのだ。


県章とはそうした単純化を要求するものだ。と諦めることもできるだろう。しかし、別に県章が地形を象っている必要などはなにもない。鹿児島県とは、本土のみの地形を象った県章を制定することによって三度奄美をないがしろにした(一度目は琉球征伐の際、二度目は廃藩置県の際)自治体なのだ。


そうしたことを広く日本国民全員が知らなければならないと主張するつもりはない(多くの自治体にはそうしたくくりには回収できない地域間の差異や問題が存在するはずだ)。だが、せめて緑健児を語る者にはそうした差異に気を配るくらいの意識が欲しいものである。


ましてや緑健児は空手家である。空手はその発生は明らかではないものの、沖縄への中国の拳法の導入や、島津家(薩摩≒鹿児島)による支配の際の武器の禁止などが予想されている武術だ(リンク)。戦後すぐのころまで日本式の相撲よりは琉球相撲(沖縄相撲)が盛んであったと報告されている(昇曙夢『大奄美史』)瀬戸内で育ち、空手家になった緑健児に対し、「我が地元」が鹿児島本土ではあまりにも失礼というものだ。


ちなみに、今ではすっかり日本式の相撲が支配的になった瀬戸内からは、現在、明生という相撲取りが輩出された。


念のために言うと、この記事のタイトルは、もちろん、ポール・ギルロイの ‘There Ain’t No Black in the Union Jack’ をもじっている。


あ、ところで、動画に関してもうひとつ言いたいことが。緑健児がTVアニメの『空手バカ一代』を見て極真空手に憧れたという認識は、たぶん、間違い。緑は僕よりひとつ上だが、僕たちの世代ならば、そして奄美の人間ならば、リアルタイムでアニメは見られなかったはず。漫画ならば連載中に皆、貪るように読んだ。だから漫画で知ったに違いない。

2023年5月6日土曜日

今日も元気だメシがうまい

今月のはじめに飲み仲間が手伝っている(そこでアルバイトをはじめた)銀座の小料理屋に食事に行った。うまかった。そのとき土鍋で炊いた御飯の話がでた。いや。土鍋で炊いた御飯が出たのだが、その際に御飯を何で炊くかという話になった。で、僕は土鍋で炊いていたので、そのことを申し上げた。


しかし、それにはちょっとした嘘があった。その話をする少し前、4月末にそれまで使っていた土鍋にひびが入り、使えなくなっていたのだ。もともとごくたまにしか米は炊かないので、それでも良かったのだが、その話をし、その店で土鍋で炊いたおいしい御飯を食べたので、辻褄を合わせるために買ったのが、これだ。



1合炊きの土鍋。しかも電子レンジ対応で、おひつにもなる。つまり、炊いたのをそのままそこに保存し、その後、温めて食べることもできる。


それまで使っていた土鍋は3合は炊けそうな普通サイズで、それに2合の米を炊くと4-5杯分にはなる。それを取り分けて冷蔵または冷凍したりしていて、それが手間だったのだが、これならば楽そうだと思って買ったのだ。


そして事実、うまい。かつ、保存と温めが楽であった。温めなおしても、うまい。

2023年4月30日日曜日

4月が終わろうとしている

4月はついにブログを一度も更新することなく終わりそうなので、せめて、最後に。




4月に入ってすぐ、書類を整理してこんなふうに書類箱を増やした(その後、もうひとつ追加した)。新しい学期を迎える準備ができた。


桂二葉を3回も聴きに行くことになった。独演会(6日)、二度目は立花蓮二プロデュース「桂二葉チャレンジその参 feat. 喬太郎」(26日)、そして柳亭小痴楽との二人会(28日)。いずれも素晴らしかった。相手を務める喬太郎と小痴楽も最高であった。


友人たちとおいしい食事なども。



そして、ノートのストックがあまりにも多くなったので、授業用にめずらしくこんなノートを作ってみたりしている(学生時代も含めて人生初の試みかも)。


合間にこれ



村上春樹『街とその不確かな壁』(新潮社)。


そのタイトルから、充分に予想され語られてきたように、これはかつて文芸誌『文學界』に発表しながら単行本化されることのなかった「街と、その不確かな壁」の書き換えである。この中篇は5年後に一度、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終わり」のパートに吸収されて消化された。しかし、それとは異なる「もうひとつの対応」(「あとがき」)が必要と考えていて、今回、書き直して発表したもの。


三部構成。第一部はその「世界の終わり」の街、壁に囲まれた街で「私」(今では「私」になった一人称の無名の語り手)が、女性の助けを得ながら図書館で夢読みをする話と、その「街」の由来についての現実世界での話。これが「ハードボイルド・ワンダーランド」とはまったく異なる話だ。十七歳の「ぼく」とひとつ年下の「きみ」との出会いと「きみ」と「街」との関係を綴った内容。


第二部では「世界の終わり」同様、影だけ逃がしてひとり「街」に残ったはずの「私」が、現実世界に戻っており、仕事を辞めて夢に導かれるままに福島の山間の小さな町の図書館長になる話(なるべくいわゆる「ネタバレ」しないように、ストーリーは詳しく書かない)。


そして第三部ではまた「街」に話が戻るのだ。ここも詳しくは書かない。


村上春樹を肯定的に評価するか否定するかを分かつ境界線のひとつは、書き換え(アダプテーション)として彼のテクストを見るか否かにある。ある時期以降村上は古典の書き換えとして小説を書いている。カフカの名をあげてミスリードしながらオイディプスの物語を書き換えたり、騎士団長の名を出してドン・ジョヴァンニを匂わせながらフィッツジェラルドと上田秋成を書き換えたりしている。


今回村上は、自分自身を書き換えてみせた。「世界の終わり」の「街」を書き換えて異なる成り立ちにし(それによって「ハードボイルド・ワンダーランド」とよりも繋がりが明瞭になった)、第二部では村上春樹的要素(田舎町に雪が降る、図書館、奇妙なキャラクター〔漫画的人物/小説の登場人物〕、家族から孤立する子、等々)をふんだんに盛りこみながら物語を綴る。


しかも、村上作品にコンスタントである性描写がない。十七歳の少年は性欲も持ち、相手の少女も「あなたのものになりたい」などと言いつつも彼らが性的に結ばれることはない。第二部の魅力的なコーヒーショップの女性と「私」もセックスすることはない。ジョルジュ・ペレックがEの文字の使用を自ら禁じて『煙滅』を書いたように、今回、村上春樹はセックス・シーンを自らに禁じて自らの作品を書き直している。


その分、「街」と現実世界との繋がり、そこへの行き来のリアリティに精力を注いでいるようだ。それが面白い。そこで利用されているもののひとつがガブリエル・ガルシア=マルケスの『コレラの時代の愛』。さらには第二部終盤での第一部の手紙の引用。そしてその書き換え。たった一行の書き換え。もちろん、この「街」は夢とも無意識とも言える世界なのだが、そのつながりに「コールリッジの花」のような仕掛け(「ある男が夢の中で楽園を通りすぎる。男はその魂がたしかにそこに行ったというしるしに、一本の花を授けられる。男は目を醒まして、手の中にその花を見る」――ボルヘスからの孫引き)も作っている。技巧のかぎりをつくしているのだ。


2023年3月18日土曜日

歴史は僕らの後に編まれた

また日記を怠ってしまった。


コロナへの対処が緩和されたからだろうか、入院中の母に面会ができるようになったので、会いに行ってきた。予約制で時間を考えると、前後3日を潰さねばならず、それはそれで大変なのだ。飛行機運賃と宿泊代だって馬鹿にならない。就航当初の便ならばこの時間の面会でも日帰りだってできた、と巡り合わせに悪態をつくのは詮ないことだ。ともかく、二泊三日で行ってきたのだ。一月末には中学の同期の連中との集まりがあったというのに、ひと月ちょっとで戻ったことになる。


母の家は風呂が壊れてどうにも居心地が悪いので、今回は伝泊、ホテルに一泊、古民家に一泊(リンク)


伝泊というのは幼馴染み、というか、近所の先輩の建築家・山下保博さんが起こした宿泊施設で、今回二晩目に泊まった古民家〈サンゴ石垣と庭木の宿〉(リンク)は実は山下さんご自身のご実家。つまり、母の家からも歩いて1分とかからないところに存するのだが、そんなのも一興かなと思った次第。なじみのようなはじめてのような……


洗濯機のとなりに、これがあった。



〈テル〉という名の編み籠だ。このベルトを額に掛けて支え、背中で背負う籠。


たった30分の面会のために三日を費やすのだから時間がある。図書館に行ったり仕事をしたり、昔なじみと酒を飲んだり、あるいはホテル泊の初日には、近くの中学に通っていたのに、よく知らなかったその集落を散歩して回ったりしたのだった(そのときの発見はこのインスタグラムの投稿〔リンク〕)。


最終日にはここを訪ねてみた。



宇宿貝塚史跡公園(宇宿は「うすき」——鹿児島市——ではない。「うしゅく」だ)


宇宿貝塚という史跡があることは知ってはいたのだが、それがこんな露出保存の記念館になっていることは知らなかった。それもそのはずで、この建物ができたのは平成の世になってからとのこと。1990年前後。いろいろと説明を読んでみると、1933年に最初に発掘された貝塚は、戦後、というか本土復帰後の54-5年に大がかりな発掘が行われ、僕らが中学生のころ、1978年にもいくつかの新発見があったらしい。それで話題にされていたのだろう。国指定史跡となったのは86年とのこと。


見学していると屋根がパラパラと音を立てる。雨が降ってきたのかと思っていると、あるところにこんな注意書きが。



なかなか粋じゃないか。ケムン(というのは、生態がカッパに類似したカッパ伝説の一ヴァリアント――と僕は思うのだが――である化け物。ここではケンムンと表記されているが、僕の語感ではこの表記にしたい)が近くに住んでいると言われていて、それが人間を歓迎したりからかったりするために騒いでいるのだとのこと。ふふふ。


僕はだいぶケムンに歓迎されたようだ。館を出るときにはまた来いよと言われた。

2023年2月17日金曜日

環境を整える(だけ)

佐藤友美は「原稿を書くスピードは、パソコンの画面サイズにゆるやかに比例」すると書いている(『書く仕事がしたい』cccメディアハウス、2021110ページ、太字は原文)。


本当かなあ? そういえばモニターを処分してMacBookAirだけで書いている僕は最近、停滞しているかな? そう思って、大学の研究室で遊ばせていたBenQのモニターを家に運んでみた。



大学で見ているととても小さく見えるのに、家の机ではずいぶんと存在感を放っている。


確実に言えることは、老眼の僕の目にはやさしいということだ。


しかし、仕事はなかなか進まないぞ。


……あ、そうか、これは原稿といっても自分の文章ではなく、翻訳なのだった。原文の理解が進まなければ、筆は進まない。昨日なんざ、英訳と仏訳でまったく逆の解釈をしている一文に悩まされて停滞したのだった。うむ。難しい。でも、この作品はもうすぐ終わる。




手動のエスプレッソ器も買ってみた。これはNespresso compatible だというのだが、残念ながら僕が大学に持っているのは同じネスレでもDolce Gusto であった。まあ関係ないけど。



2023年2月5日日曜日

ウルティモ・ドラゴンには会えなかった。

昨日、メキシコ文化フェアなるものに参加してきた。内幸町ホールでの宇野和美さんとのトーク。「ブックフェアで本と出会う――ネッテルとメキシコの現代作家たち――」


まずは宇野さんが、彼女が2年ごとに参加している(コロナ以前はということ)グワダラハラのブックフェアの話を写真もふんだんに披露、そこでグアダルーペ・ネッテルとも出会ったことなどをとっかかりにネッテルの『花びらとその他の不穏な物語』の紹介した。少しやりとりしながらその感想、印象などを述べた。


僕はそのネッテルの長篇小説 El cuerpo en que nací の一節を引用、そこに言及されていた首都の鉱業会館のブックフェアのこと、それが古本屋のフェアと併行していること、近くの古本屋街のこと、それを記述したボラーニョの引用などから自著『テクストとしての都市 メキシコDF』のこと、それが書店に始まり書店と図書館に終わっていることを掲載しなかった写真などを示しながら紹介した。


なかなかの盛況であった。


そして焼売などを食べながら、打ち上げ。


ところで、プロジェクターの映像を投影するのに、さすがにホワイトボード(前回の投稿参照)よりはスクリーンがいいだろうと思い、50インチ相当のスクリーンを導入してみた。



さすがにいい。