2014年2月20日木曜日

冷や汗で風邪をひきそうだ

要するに、間抜け、なのだ、ぼくは。

今朝はいつものごとく、8時から11時まで仕事をした。執筆に精を出した。シンポジウムの原稿に連載の〆切り、他の雑誌の一回限りの文章の〆切り、などなど、ひとつ片づけてもまたその次の仕事が控えているのだ。

朝食をコーヒー2杯とジュース一杯で終えるぼくは11時ともなると腹が減る。正午を待たずに昼食を摂る。お望みとあらば、これをブランチと呼んでもいい。ともかく、何か食べる。家で済ませる場合もあれば、外に食べに出ることもある。いずれにしろ、昼食後、研究室に向かうことになる。それからまた夜まで仕事だ(今日は会議と追いコンだけど)。今日は外に食べに出てついでに大学まで歩いて行こうかという気分だった。

どこで何を食べたかは、この際、どうでもいい。吉野家の牛丼でも、日高屋のラーメンでも、本郷通りにいくつかあるいい感じのビストロやイタリア料理のレストランのセットメニューでもいい。「時価」の寿司屋でもいい。ま、そのいずれでもないのだが。

で、支払いを済ませようと思った。

! 

財布がない。いつも入れている左の胸ポケットに財布がない!

慌てふためいて免許証を預け(カードケースは見つかったのだ。そこに免許証もあった)、家まで取りに帰った。家に忘れたのだろうと思ったのだ。駅(その周辺の店だったのだ)からわが家までの道のりがこれほど長く感じられたことはなかった。

家に帰ったらもっと焦った。冷や汗がでた。財布がないのだ! ふだん財布を置いてあるところにも、ダイニング・テーブルにも、机にも、その引き出しにも、鞄の中にも!

参った。ほとほと参った。やれやれ。俺もついに財布をなくすなんて間抜けの仲間入りか。そういえば今日のコートは裏地が着脱可能で、ボタンで留めるやつだから、そこでできる隙間をコートのポケットと勘違いして、財布を入れようとして落としたことがあったが、そんな風にして落としたのだろうか? 手紙を出そうとしてポストの前で取り出したときだっただろうか? 入っていたのは僅かばかりの現金とキャッシュカード、クレジット・カードは3枚だと思う。パスモにも一万円弱のチャージ料金があった。あれなど、暗証番号がわからずとも使えるから、捨てたようなものだ。

角を曲がったところに交番があったから、そこで被害届を出してこよう。やれやれ。今日は研究室の追いコンなのだが、参加できないかなあ? 参ったな。

ふと、右の胸を触ってみた。膨らみがあった。

あ、いや、乳房のことではない。そりゃあ、ぼくは胸筋逞しいほうではあるが、そのことではない。

つまり、ふだん入れないはずの右ポケットに財布が入っていたのだ。

……言い訳だ。昨日おとといと連続でスタジャンを着て外出した。そのスタジャンの内ポケットは右にしかない。ふだん右利きで右で財布を持ち、左ポケットに入れるぼくも、このスタジャンを着るときは左手で持って右ポケットに入れる。それを2日連続でやった。おかげで、それまでの習慣を忘れ、今日は無意識のうちに右ポケットに入れたらしいのだ。


やれやれ。つくづくと間抜けなのだ、ぼくは。

2014年2月18日火曜日

ホンキートンク・赤羽

どういうわけかはわからないけれども、人は時々、ある種のメロディーに取り憑かれることがある。

いや、「どういうわけかはわからない」と書いたが、わかることもある。〈ドン・キホーテ〉に行ってからずっとあの「ドン、ドン、ドン、ドンキ、ドンキ ホーテ♪」のメロディーに取り憑かれたりする場合がそれだ。〈ヨドバシカメラ〉を出た瞬間から「鉄道唱歌」の替え歌が頭にこびりついて離れない場合がそれだ。

が、なぜかわからない場合もある。なぜかはわからないけれども、何かの曲が我々に取り憑くのだ。

その日の場合は「ホンキートンク・ウーマン」だった。ザ・ローリング・ストーンズだ。キース・リチャーズのオープンGチューニングだ。そのメロディーがいつまでもぼくを離さないものだから、オープンGにチューニングし直すのも面倒で、キーをAにあげたギターを伴奏に歌ってみた。

歌詞を忘れかけていた。1番と2番を混同したりしていた。それを確かめたりしていたせいで、ストーンズの名曲はますます僕を支配することになった。つまりぼくはドツボにはまったのだ。

ちなみに、「ホンキートンク・ウーマン」という曲はその卑猥な含意が問題になった曲だ。僕はその日、すっかり悪党気分に浸ることになったのだ。「NYCでバツイチ女を押し倒したぜ」ってな気分だ。

その日は旧友に会う用があった。東京の外れで会った。久しぶりだった。彼女は――言い忘れたが、「旧友」は女性だ。この際どうでもいい問題だが――ワインをひとくち飲むなり訊いてきた。

――ねえ、どうして外語を辞めちゃったの? いられなくなるような悪いことしたの? 

僕は絶句した。彼女の住む世界では、大学の教員が他大学に移るとすれば、それはその大学で悪いことをして追い出される時であるらしい。追い出されて新たに行く先の大学としてもいい迷惑だ。

――ごめんね、変なこと訊いて。辞めるとは思ってなかったからさ。別に言えないことなら教えてくれなくてもいいんだけど……

僕の無言が彼女の予想を保証しているということなのか、彼女はその路線で話を続けてくる。

困ったことに、既に言ったように、その日は僕はストーンズに毒されていたのだった。ふだんは偽悪趣味など持ち合わせないのだが、そんなわけで、その日は事情が違った。

――おおよ。メンフィスでジン浸りのバーの女に会って、そいつがねえ上に行って乗らない、なんて誘ってきて、俺を肩にかつぐはめになっちまってよ……

……ってなものである。

やれやれ。世界は複雑な相貌を持っている。


赤羽にはカウンターに生ハムの脚を乗せたバルが少なくとも2軒ある。

2014年2月11日火曜日

きりきり

『こころ』Vol.17(平凡社)なのだ「特集 21世紀の海外文学を読もう! ラテンアメリカ編」なのだ。ここに「ラテンアメリカ文学 私の三冊」という見開きの記事を書いたのだ。

これから立て続けに三つほどの雑誌に書いたものや訳したものが出る予定。

『こころ』は昨日、研究室で受け取ったのだが、同時に『MONKEY』Vol.2もいただいた。同僚の柴田元幸さんから。すごいなあ。柴田さんはこの雑誌の創刊号と第2号を編集する傍ら、現代文芸論研究室が出している雑誌『れにくさ』も今回、編集担当で、かなりの分量の論文やエッセイに目を通しているはずなのだ。精力的なのだ。頭が下がるのだ。

昨日は大学院修士課程の2次面接だった。学部生の卒論や外部からの受験生の卒論(力作揃いだ!)にも目を通したということなのだ。明後日には修士論文の口頭試問と博士課程2次面接もあるから、それらにも目を通すということなのだ。

すごい。

で、ぼくは昨日、その2次面接が終わってから、夕食を食い過ぎたような気がしていた。いや、いつもと同量程度しか食べていないのだが、どうにも食い過ぎた感じがあって、夜まで具合が悪かった。今日の昼も、やはり、ふだんの量だけ食べるのが精一杯だった。しばらく具合が悪かった。げっぷが出そうな感じだ。いや、お行儀のいいぼくとしては、そんなはしたないまねはしない。おくびにも出さない(へへ。同語反復だぜ)のだが。

つまり、たぶん、胃が弱っているということなのだ。体調を崩しかけているのだ。

ぼくは環境適応能力は高い方だと自認していたのだが、環境が変わるとやはり無理が来るのかなあ? そういえば学籍がなくなってフリーのインテリになった年も、法政に勤め始めた年も、外語に勤め始めた年も、なにがしか体調を崩していたものなあ……


ま、胃が弱ったのなら、ちょうど最近体重も気になっていたことだし、食べるもの減らして減量でもしよう。先日ご報告の電子レンジ圧力鍋で試作したぶり大根(今ひとつであった)の残りがあるから、今日はあれだけで済ませてしまおう。

2014年2月9日日曜日

歴史的転倒、世代への裏切り

ソチ発共同通信の配信として『中日スポーツ』のウェブ版速報がこんなニュースを伝えた。

2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会が9日、ソチで記者会見し、森喜朗会長(76)ら執行部が高齢で語学力に乏しいことなどについて厳しい質問を受けた。森氏は第2次大戦に触れ、英語は「敵国語だった」などと説明した。
 英語力について、森氏は「昔はボール、ストライクも『よし』『駄目』と日本語を使わされて野球をやっていた。私の世代はよほど特別に勉強した方じゃないと外国語をよく理解しない」と話した。出席者からは「敵国語とは不快な表現だ」(英国人記者)「ジョークだと言えば笑い話で済んだが、そうではなかった」(米国人記者)と当惑する声が聞かれた。

僕はこの森喜朗の態度の何に腹を立てるか? 記憶の詐欺、歴史の転倒とでも言うべきものに対してである。

森喜朗はここに明記されているとおり、76歳。1937年7月生まれだ。英語が「敵製語」(「敵国語」でなく、こう言ったと思う)だったのは、彼が8歳になってすぐのころまでの話だ。やっと小学校の2年生で「てふでふは……」とかやっていたころまでだ。中学生から全員が英語を履修するという学校制度を彼は潜り抜けてきたのだ。いかにも、最初の野球の経験くらいは「よし」「駄目」でやっていたのだろうが(それだって怪しい。8歳だぜ)、きちんと勉強すれば少しくらい英語が理解できるようになったとしても不思議はない世代なのだ、この早大出身の元総理大臣は。世代で語るならば、「よほど特別に勉強した方じゃないと外国語をよく理解しない」ではなく、「まったく勉強しなかった私は外国語を理解しない」と言わなければならなかったのだ。

森喜朗より2歳年上の若桑みどりはどこかで、自分の母の世代は教育制度のせいで英語などろくに知らない、そのことをもって若いころには母を蔑んだこともある、だがそれは間違いなのだ、と反省していた。若桑みどりのこの悔悟の前に森喜朗は跪かなければならない。世代に対する裏切りだ。

たとえば、(今、別のところに引用しようと思って手もとに置いてあるので)早川敦子『世界文学を継ぐ者たち――翻訳家の窓辺から』(集英社新書、2012)第一章「自分を語り他者を語る」ではエヴァ・ホフマン『記憶を和解のために』が取り上げられるのだが、エリ・ヴィーゼルやヴィクトール・フランクルらの「ホロコースト文学」第一世代に対し、ホフマンらを第二世代と位置づけ、次のように概説している。

第一世代はまさに自身の記憶を言説化することに苦悩したのに対して、第二世代は「生還者の子どもたち」であり、ホロコーストの直接的な記憶と体験をもっていない。その不在こそ、彼らの苦悩なのだ。存在ではなく不在の意識を第二世代にもたらしたホロコーストのありようが、ぱっくりと口を開けた「裂け目」として照射される。自身との繋がり、関係性を断ち切られつつ、その不在をたえず意識し続けなくてはいけないパラドックスがホロコーストの「その後の生」なのだ。(50-51ページ。下線は原文の傍点)

この説明をパラフレーズして考えてみよう。「いやあ、我々の世代は英語ができなくてね」と、本当はそんなはずないのに、自虐気味に、別に英語なんかできなくてもいい立場の人が言うのが、英語敵製語政策がその不在において照射する「裂け目」だ。それを「いやあ、我々のころには英語は敵製語で教えられなかったからね」と、その世代でもない森喜朗が言うことは、誤魔化しなのだ。年齢をサバ読んでいるのだ。自身の眼前にある不在に、「裂け目」に目を向けようとしない知的不誠実なのだ。


こんな者の言葉は傾聴に値しない。

……ところで、オリンピックって、もう始まっていたのね……

2014年2月8日土曜日

幽霊恐怖

おかしな話である。怖い話である。

ナントカという作曲家のゴーストライターを務めていたという新垣隆という人が、非常勤講師として勤める桐朋学園大学から処分されそうになっているとか。

かつて、あるアイドルが、彼女の名前で本を出版、記者会見で内容を問われ、「うーんと、まだ読んでないからわかりません」と答えたという笑い話があるが(本当のことなのか?)、ゴーストライターというのは、かように、常に存在するのである。

ぼくも2、3度、対談だの座談会だのといったものをして、その記録が雑誌などに掲載されたことがあるが、その時、ぼくはただしゃべっただけであり、しゃべったそのままでは活字にならないので、そのしゃべったことは再編成されている。が、ぼくはそんな再編成などした記憶はない。しゃべった内容すら記憶にないこともある。誰かがテープから活字に起こし、再編成し、記事としてリーダブルなものに作りかえたものをチェックしただけだ。その「誰か」はその雑誌には名前さえ出ていないかもしれない。出てる場合もあるけど。出ていない場合、その人のことを「ゴースト」と称する。

名のある作家が海外の作品の翻訳を出版する。それをその言語に詳しい専門家がチェックする。その際、大幅に手直ししてもはやその作家の訳の原形も留めないものになるかもしれない。しかしてその専門家は謝礼くらいは受け取るものの、翻訳者として名を出すわけではない。彼/彼女はそのとき、幽霊だ。ゴーストなのだ。

ゴーストライターは常に存在する。ゴーストライターを務めたことで誰かを罰するなど、おかしな話だ。ゴーストを雇ってその存在を隠し、あたかも自分の手柄であるかのように吹聴した、当の作者ならばまだしも、ゴーストに厳しく当たることはない。ましてや新垣さんという人は非常勤講師だ。週に1回、90分教えたとしても、月たかだか2、3万くらいしかもらえない、要するにアルバイトだ。間違っても解雇、なんてことがあってはいけない。


2014年2月7日金曜日

業務終了

今日は卒論の口頭試問だった。

口頭試問なんてのがあるのだ。硬派だなあ。

以前、神田外語大で5年間非常勤講師を務めたが、そこでも卒論の口頭試問があると聞いた記憶がある。硬派なのだ。

外語では、法政でもそうだったが、ゼミによっては提出後の卒論の発表会をやるところもあった。ぼくは、まあ、ぼくのことだから、そんなことをしたことはない。もちろん、修論は口頭試問があるのだが、学部の卒論には口頭試問はない。

で、今日は研究室の卒論提出者9人が、まず自分で自分の卒論の内容をまとめて発表。それにたいし教員が質問やらコメントやらをして、20分ばかりも質疑応答する。教員というのは、あの人と、あの人と、そしてぼくだ。そして時々、あの人やあの人も。それをたいていの3年生が聴いている。さすがに4年生たちは緊張していたようだ。

卒論の題材は:ゴーゴリ、カルヴィーノ、バーセルミ、ディック、シェリー(というか、つまり、『フランケンシュタイン』)、ボルヘス、フラバル、タブッキ、ボラーニョ。

ひゃー……

皆さん優秀な卒論であった。

2014年2月5日水曜日

Como si estuviéramos en un país recién independizado...

たまにTVを見ると面白い出来事に遭遇する。今日目撃したのは、あるCM。たぶん、英会話教室のものだと思う。

小さな女の子が、頼りなげに「翼をください」と、何だかかっこいいあんちゃんに頼むというもの。たぶん、そのかっこいいあんちゃんというのは、伊勢谷友介と言ったと思う。

そして海外大学への翼は英語だ、と続く。

海外はもっと広いぞ、という話題は今はさておいて、その女の子というのは医者になりたいから翼が欲しいのだという。つまり、医者になりたくて海外の大学に行きたいのだと。

なんだか面白い。

何が面白いかというと、これではまるで、日本にいては医者になれないみたいだと、そんな印象を抱いてしまうということなんだ。逆に、日本の国家試験を受けないと日本では医事行為ができないのだけどね、ブラックジャックの場合みたいに。

やがてNHK『テレビでスペイン語』での連載が終わるホルヘ・イサークス『マリーア』(1867)では、語り手のエフラインは医学の勉強のためにコロンビアを離れなければならなくなる。それが恋人マリーアとの別れだ。ガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』ではヨーロッパで医学を学んできたフベナル・ウルビーノがフロレンティーノ・アリーサからフェルミーナ・ダーサを奪っていく。コロンビアの19世紀は医者と言えばヨーロッパで医学を学んだものだったのだ。

日本では医学をヨーロッパで学ばなければならなかったのは森鴎外くらいまでなのか? だとしてもそのときは英語ではなくドイツ語を学ばねば、という流れだったと思うけれども。

ともかく、学問が国語化されるというのは、独立国の独立の証だ。国内に医学部があって、そこで学べば医者になれるというのは、日本が普通の独立国としての条件を得ている(これが意外に少ない)という証左だ。

だったはずだ。

ところが、今、こうしたCMが描く世界では、ぼくらはまだきちんと独立を果たし得ていない国であるようなのだ。医学を学ぶに英語圏の(もはやドイツ語圏である必要は、確かに、ないと思うけど。でもスペイン語圏のキューバという選択肢だってあるよ、と言いたい)国に行かなければならないらしいのだ。


やれやれ。ぼくらはずいぶん短期間にたいそうなものを失ってしまったようだ……

2014年2月3日月曜日

「テンション上がる」にテンション下がる

昨日の記事には『アイム・ソー・エキサイテッド』の訳のつもりで、「おれはひどく興奮しているぜ!」というタイトルをつけた。タイトルを眺めながら、何かモヤモヤとしていた。

! 

そういえば最近、「興奮」という語が少しずつ排除されているな、との思いにとらわれたのだ。

以前、2013年9月13日苅谷剛彦『知的複眼思考法:誰でも持っている創造力のスイッチ』(講談社+α文庫、2002)を紹介しながら、それがふたつの文章を引用して「いじめ」という語が「恐喝」を言い換える婉曲語法として成立した瞬間を捉えていることを指摘した。

同書が他の場所で挙げている例文に盛田昭夫『学歴無用論』からのものがある。1966年のものだと断った上で紹介している文の断片、書き出しは、こうだ。

 日本とアメリカとを比べて、どちらがストレスやテンションが多いだろうか。

この「テンション」は語の正しい意味で使われている。「緊張(感)」だ。「いじめ」という語の歴史性を指摘し得た苅谷も、この語に対しては何の留保も置いていない。

そりゃそうだ。苅谷のこの書の親本が出た1996年にも、そして文庫化された2002年にも、「興奮」の婉曲語法としての「テンション」という語など生まれてはいなかった。

いったいいつごろから、どんな経緯で使われ始めたのだろう、この「テンション」。唯一わかっていることは、これを使う人たちが「興奮する」とは言わずに「テンション上がる」と言い換えているということだけだ。

最近、時折、スペイン語の文章に "tensión" の語を、英語の文章に "tension" の語を見出すたびに、一瞬、テンションが高まるのだ……いや、つまり、緊張するのだ。その後、近ごろよく聞かれるこの婉曲語法を呪うはめになるのだ。ぼくが恐れていることは、授業などで、いつか学生がこの「テンション」の語法から遡行して、これらの語を誤解すまいか、ということだ。そうなったら、こっちとしてもテンション下がる……もとい! がっかりだ。


この語のこの用法を受けいれて使っている人たちは、英語などを読むとき、混乱しないのかなあ? 

2014年2月2日日曜日

俺はひどく興奮しているぜ!

ペドロ・アルモドバル『アイム・ソー・エキサイテッド』(スペイン、2013)

の邦題は、劇中で流れるポインター・シスターズの歌のタイトルから取ったのだろうが、映画の英題もこれなのか? 原題は Los amantes pasajeros. Pasajero は飛行機の乗客の意でもあり、同時に「一時的な、その場の」等々の意味の形容詞でもあるので、かけことばになっている。Amanteは「愛人、恋人」。

整備係の不始末から着陸不能な状態になったマドリード発メキシコD.F.行ペニンスラ航空(字幕ではペニンシュラ)の飛行機が、不時着場所を探してスペインの上空をうろつく。その間、ビジネス・クラスに乗り合わせた乗客と、3人ともゲイのCA、それにコックピットの2人のパイロットが繰り広げるシチュエーション・コメディ。霊能力のようなものを持っているために、行方不明者を捜しに行く女性(ロラ・ドウェニャス)、何かにつけてクレームをつけるポルノ女優(セシリア・ロス)、業務上のトラウマから噓がつけなくなったおしゃべりチーフ・パーサーのホセラ(ハビエル・カマラ)、詐欺まがいの融資が発覚して告発されそうな銀行頭取(ホセ・ルイス・トリーホ。パンフにはホとの表記)、二枚目俳優くずれのリカルド・ガラン(ギジェルモ・トレード。役者の名がギレルモなのは今さら始まった表記ではないが、なぜかこの役名、字幕ではハランと。gがなんでもハ行だのとの思い込みがあるのか? 台詞を聞けばわかることなのに)らのクセのある連中が、緊急用の電話で外部と連絡を取り、それぞれの抱える問題を露呈していく。実におかしい。しまいにはバレンシア水に入れたメスカリンで乱交パーティーの様相を呈す。なんだかヘンだ。

ロスがいて、バンデーラスも(ペネロペ・クルスもだが)最初にちょい役で出てくる。パンフレットなどはアルモドバルの原点回帰を謳っている。一度メロドラマに大きく舵を切ったアルモドバルが当初のキッチュさを取り戻した、と。なるほど、副操縦士ベニート(ウーゴ・シルバなのだが、パンフにはユーゴ・シルヴァと)が独りでコックピットに座り、寝ているんだか性的快楽に喘いでいるんだか、その表情を外から撮った図は秀逸も秀逸。『神経衰弱ぎりぎりの女たち』の空港へ向かうシーンに匹敵するのではいるまいか。

でも、そうなのかな? これは原点回帰なのかな? 詳しくは言えないけれども、最後近く、新婚旅行の若いふたりの乗客が滑り台を降りてくるところがスローモーションで展開されることなどは、もっと多義的なように思う。


Sudaca(スペイン人たちが南米人に対して使う蔑称)という言葉に反応して「俺はsudacaではない。メキシコ人だ」と答えるメキシコ人殺し屋(ホセ・マリーア・ヤスピックだが、パンフではホ・マリア・ヤピック)が離陸早々ボラーニョの『2666』を取り出し、ずっと読んでいるところなどは小憎らしい演出。ついでにいえば、ある種典型的なメキシコ人がメキシコは中米ではないし、ましてや南米ではない、と主張する(事実、北米だし)文化的背景も、一応、お忘れなく。

朝から思わず首をすくめる

野々山真輝帆編『ラテンアメリカ傑作短編集:中南米スペイン語圏文学史を辿る』(彩流社、2014)

は副題に「文学史を辿る」と言っているのだから、極めて歴史的な短編を集めたアンソロジーだ。劈頭には

エステバン・エチェベリーア「屠場」相良勝訳(5-31ページ)

を置く。1830年代、フアン・マヌエル・デ・ロサスの治下、四旬節のころの屠場の様子と、続く中央集権派の若者への拷問を扱ったもの。

アルゼンチンは独立後、中央集権派と連邦派の内紛が続いた。ロサスは連邦派。これがまた稀代の独裁者ともされるので、エチェベリーアのこの短編は、ラテンアメリカの最初の短編とも、最初のロマン主義の発露ともされると同時に、最初の独裁者小説ともみなされることがある。

ロサス自身は出て来ないけれども、肉の塩漬け業者から大統領まで上り詰めたこの人物を支持するのが屠畜業者であり教会であるという図式が鮮明だ。自由主義者とも同定される中央集権派に「野蛮人」の語を投げかけながら野蛮な仕打ちをする畜殺人たちの残酷さが印象的だ。

そうした19世紀アルゼンチン特殊事情も、貧困層が腹いせのために為政者の尻馬に乗って憂さ晴らしをしている現在のどこかの国ではアレゴリー的に読まれてしまうかもしれない。が、今はそんな深読みは措いておこう。屠場における(カーニヴァル的? 「カーニヴァルと四旬節の戦い」的?)騒擾に、鮮やかに暴力のモチーフが重なるのが、次の段落。

 そして実際、叫び声と、とりわけ尻尾を小突く二本の尖った牛追い棒とに追い回された牛は、投げ縄の緩むのを感じるや鼻息を荒らげ、左右にその赤く燃えたぎる視線を放ちながら門に向かって突進した。馬に乗った男がぐいと引っ張って角から縄を外すと、空中に耳障りなきしんだ不快な音が起こり、同時に囲い場の二股の支柱の上から子どもの頭が、まるで斧の一撃で首根っこからすっぱりと切り離されたように転がり落ちるのが見えた。胴体は木に跨がったまま残り、血管からは血しぶきが高々と吹き上がった。
「縄が切れた。そっちに牛が行くぞ」と何人かが叫んだ。(20ページ)

ひゃー!

思わず首をすくめてしまった。「耳障りきしん不快」音だぜ。形容詞の三連発だ。不快だろう? そして首が刎ねられる。


ひゃー!