2022年4月7日木曜日

伝えたいことがある

なりたくてもどうしてもなれなかったものがひとつだけある。


母方のおじさんだ。


僕には姉妹がいないので、こればかりは仕方がない。兄には娘がいて、つまり僕は父方の叔父ではあるが、それはまた別問題だ。


文化は母方の叔父から子へと伝達されるとレヴィ=ストロースは言ったはずだ(うろ覚え)。でもその子は男の子だったかもしれない。つまり甥だ。だから伯父から姪の場合はよく知らない。あくまでもうろ覚えと印象論だが。僕の場合は、母方の叔父の甥だったわけだ。


僕は母の家で育ち、そこに居候していた母方の叔父からおいしいオムレツの作り方やらコーヒーの淹れ方やらを教わった。彼の買ってきたステレオで音楽を聴いた。レストラン・バーのオーナー・シェフになりたいと隣のコンクリート工場で働いていた叔父は、金を貯めるどころか、大した額ではないものの借金を残してある日出奔した。そして70歳を過ぎて釜が崎で生活保護を受けるまで行方が知れなかった(あるいはAlberto Fuguet, Missing のおじのように、単に連絡を取っていなかっただけなのかもしれない)。このヤクザ者っぽさこそ、僕がその叔父から伝達された文化であった。のだと思う。


僕はその生き方を姉の息子に伝えることなく死んでいくことになりそうだ。どうにか定職にはついたものの、財産もそれを遺すべき子も持つことなく、きっと独り野垂れ死にすることになる。


そんな僕にとってうらやましいのが、母方の叔父として甥にではなく、伯父として姪に何かを伝えていくという体裁を取った、以下の本。



小沼純一『ふりかえる日、日――めいのレッスン』(青土社)


共働きの妹・紗枝の娘サイェが学校帰りに毎日のように在宅勤務の「わたし」の家にやって来る(学童保育代わり?)。そこで取り交わす、あるいは一緒に「わたし」の母つまりサイェの祖母の家に行って彼女と交わすやりとりによって、四季折々の動植物と生活の関係の取り結び方を伝えていく。場合によっては母親やさらにその両親(サイェにとっての曾祖父母)の記憶(上海での暮らしや戦争の記憶)らも想起される。それを押しつけがましく教えてやるというよりは、ただ伝えている。彼女の反応も見ながら。そんな内容。


小沼さんに本当に姪がいるのかどうかは知らない。たとえば、一時期、Facbook上に昔の喫茶店やバーなどのマッチのコレクションをアップしていたことは知っている。それはきっと「マッチ箱」(228-231ページ)の記事を書いていたときのものだろうと思う(本書は『ろうそくの炎がささやく言葉』に寄稿した文章を発端にして「けいそうビブリオフィル」に不定期連載していた文章の集成だとのこと)。本文ではマッチになじみのないサイェがそれらを発見し、さらにはそのマッチ箱内にあった「わたし」のメモすらも発見したことによって「わたし」が記憶を取り戻したり取り戻せなかったりしている。マッチ、しかも飲食店のマッチという途絶えつつある文化を姪に伝達するというだけでなく、自らの追憶にもなるのだった。


が、そのFacebook上の記事には姪についての言及はなかったように思う。読者としてはサイェなる姪の実在を疑いたくなるところ。が、その実在が疑われる姪が実にチャーミングである。あるいはおじさん(「わたし」)とのやり取りが面白い。「わたし」が友人に触発されてぬか漬けを始め、そうして漬けたきゅうりを取り上げて切って祖母の家に持っていこうというサイェと「わたし」のやり取り。


 サイェ、おばあちゃんに、「わたしのぬか漬け」って言う?

 言わない、とめいは無表情にかえしてくる。わたしが漬けたんじゃないし、とりだして、切った、とは言うかも。

 あいかわらず生真面目というか、カタいというか、おもしろい。

 わたしの媚びたもの言いなど、この子は頓着しない。サイェ、おまえもぬか漬けにしたほうがいいかも。そう笑いとばしてみたいとおもったけれど、また不思議な顔をされても説明に困るので、黙っていた。(117


ぶっきらぼうながら独自の律儀さを持ち、大人に媚びないながらもしっかりと何かは受け取っている、そんな年ごろの姪の姿が好もしい。


だからまあ、小沼さん自身に本当に姪がいるかいないかはどうでもいい問題で、これは小説なのだと僕は読むことにした。あるいは、散文詩、かな? 一種の歳時記。とも。


あ、そうか! 僕がもし本気で姉の息子が欲しいと思っているのなら、虚構の上でつくればいいのだった。


写真は、カヴァーを外した装丁もすてきだったので、カヴァーと、裸の本(実は昨日の記事の写真でもバーガーの向こうに映っていた)。