2022年1月13日木曜日

新しい眼鏡、新しい小説


眼鏡を買い換えたのだ。


だいぶ早い時期(40歳前後)には老眼が始まったものの、それまでずっと視力が1.5できたものだから、眼鏡になれないしかけている自分の格好に違和感があるしで、人前で眼鏡をかけることを極力避けていた。東大に移ったのを機に(つまり50の歳に)遠近両用(少し乱視入り)を日常的にかけることにした。それで、最近、また少し目が悪くなったようなので、買い換えたのだ。


僕は個人的にはボストン・フレームの眼鏡が好きだ。たまらなく好きだ。で、書物を巡るイメージ写真などでは圧倒的にボストン・フレームの眼鏡が使われると認識している。


ところが、残念なことに僕はボストン・フレームが似合わないのだ。むしろ、ウディ・アレンのようなウェリントン・フレームがいいようだ。今回、眼鏡屋の店員も同意していた。ジャン=ポール・ベルモンドは好きで、彼になりたいと思ったことはあるけれども、ウディ・アレンは好きだけれども彼になりたいと思ったことは特にない(とはいえ、気づいたらだいたい同じ格好をしている。チノパンにツイードのジャケット)。だからウェリントン・フレームなど気が進まなかったのだが、ともかく、これがけっきょく落ち着きそうだからしかたがない。このフレームにした。もちろん、ウディ・アレンのような大きな黒縁ではない。軽く薄いやつだ。


そして、イメージ写真を撮ってみたら、でもまあ、これも悪くない。


映っている本はフランソワーズ・サガン『打ちのめされた心は』河野万里子訳、河出書房新社2021事故の結果、退院後、それまでと同様の人間関係を家族と取れなくなった金持ちのボンボンの話なのだが、人間関係の取り結び方がそれまでのようにいかないのは、彼だけの問題ではない。周囲の者、家族のメンバーも、もはや彼を同じように扱うことはできないのだ。妻は離婚を切り出すし、父は息子に自身を取り戻させようと高級娼婦をあてがうし、そして父子して子の妻の母に恋をするし…… そんな一族の感情を扱った小説だ。


ところで、サガンには「ジゴロ」という短篇があった。初老の女性がひいきにしているジゴロに、彼の将来のことを考えて別れを切り出すと、ジゴロが彼女に本当に恋をしているのだと打ち明ける話。この話を僕は最初、読んだときによく分からなかった。けれども、友人が(それは高校時代のことだった)さりげなくそういう話だと言ったので、事後的に了解した次第。そんなことがあったせいか、記憶に残っているのだ。


意外なことに、ドタバタ風のところやら、登場人物が笑っているところやらもあり、これは晩年の新境地なのだとか。



眼鏡をかけた写真。