2016年1月2日土曜日

銀幕始め

銀幕始め、なんて言葉、あるのか?

まあいいや、公開時見損なっていたので、

ヴィム・ヴェンダース、ジュリアーノ・リベイロ・サルガド『セズスチャン・サルガド:地球へのラブレター』(フランス、ブラジル、イタリア、2014)@早稲田松竹。

けっこう人がいた。ほぼ満席。

フランスで学位を得て国際機関に働くエコノミストだったサルガード(この表記の方がしっくりくるので、僕はこちらで)が、妻のカメラに興味を示し、勤務先で写真を撮るようになり、写真家に転身、『別のアメリカ』でラテンアメリカ主義に目覚め、『ワーカーズ』で「産業化社会の考古学」にとり組み、移動の時代である現代を撮ろうとしてルワンダの難民などを撮ることになり(『エクソダス』)、疲れ果て、帰国したブラジルの故郷の農園が森林伐採で荒地になっていたので、妻に示唆されるままに再生する試みに乗りだし、同時に自然や先住民、動物(移動するとすれば自然の摂理によって移動する生命)を撮るようになって『ジェネシス』と名づけ、・・・・・・といった変遷が、彼の代表的作品とともに語られ、示唆的な1本。

ごく最初の頃に、この映画の共同監督である息子ジュリアーノ・リベイロを伴ってセイウチ撮影に行き、このままでは被写体はわかりやすく撮れるけれども、これでは構図がうまくいかない、動きが表現できない、と述べてじっと待つサルガードが印象的。映画の語りなども主にサルガードの写真の被写体を問題にしているのだが、問題はそれをどのように撮ってきたか、どんな絵に切り取ってきたのかということが問題なのだ。


ガリンペイロと呼ばれる金の採掘人の写真から始まるのは、実にキャッチー。